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優しさと冷たさと心強さと

38歳にもなって、滲みじみと人の優しさに触れて心より頭が下がる。

人に何かを頼むと言うのは、結局は自分の都合を相手に押し付ける事になる。例えお金を払っていたとしても。

自分の頼みを聞いて貰えるだけでも有難く、こちらの要望以上(例えば希望の日時より早く対応してくれたり等)の事をしてくれようものなら両の手を合わせて感謝を伝えたくなる。

今の自分の仕事柄もあるが、生きていく上で、今のこの気持ちだけは忘れてはならないと、よくよく思わされる。

この事を考えていない人間が、本当にみっともなく、見苦しく、嘆かわしいと思える。

恐らくその人は困っていないんだろう。自分の思う事を他者へ言うだけ言って、見たくない物を見なければ。それでそれまで生きてきたのだから、これからも生きていけるだろう。

別に私に優しくしたからと言って、正直一銭の得もないので、そうして頂いても、なんの支障もありませんよ。

ただ私はそんな生き方をしないよう気を付けたい。

「もしかしたら私も誰かに失礼な態度を取り続けているのかもしれない」

それは必ずそうだと思う。だからこそ、その気持ちを忘れずに謙虚でありたい。

「他人を気にしていたら生きられない!結局は自分の知っている範囲でしか人は行動できない!」

これもその通りだと思い、これを言う人はむしろ周囲へ気を配った上での考えなので、大いに賛成する。

残念なのは、元々まったく、他者への配慮に欠落している人がいる事だ。

いったい、なにゆえにそんな悲惨な態度を取る事になってしまったのだろうか?と心配したくもなってしまう…。

子どもの頃、教わらなかっただろうか?「そんな事をしたら〇〇ちゃんが可哀そうでしょう?」とか「○○君痛い痛いだよ?」とか。

それを教えるはずの何十年生きている大人が平気で、他者が傷付く行為を、それと気付かずにとっている。しかも決してそんな人が少なくないというのだから…

私も何年生きられるか知らないが、残りの寿命が有限である事は間違いない。

誰の為に生きるか考えた時…「この人の為に生きたい」という人の傍にいたいものだ。

別に左の頬をぶたれて右の頬を差し出すほど優しくなくても良い。

悪の宇宙人から世界を救うようなヒーローでなくても良い。

ほんの1秒、道を相手に譲れるだけの心の余裕をもちながら生きていきたい。


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