見出し画像

経産牛

写真は2ヶ月前にセリで落とした近江牛の経産からシンタマ。4歳で1産している。再肥育はなし。トックリ(骨付きモモ)の状態で50日ほど熟成庫へ入れておいた。本日捌いてみたが、とにかく小さい。それでもうまく熟成できたので香りもよく、肉質もなんとか販売できるレベルまでもってこれた。

さて、「熟成肉」と聞いただけで嫌な顔をする人がいる。理由は、ブームのときに何度か食べておいしくなかったからだろう。食べた肉がよくなかったからでしょうと喉元まででかかるがそこは我慢。ナンチャッテ熟成が出回っていたからその手の話は嫌というほど聞いてきた。ってことで、今日は熟成の話ではなく「経産牛」について。

経産牛というワードに少しだけ光があたったのかと思っていたのだが、まだまだ批判的な声があるみたい。

よくよく考えれば、僕が経産牛を扱ってるから、僕の周りの人たちは肯定的な人しかいないわけで、良い評価をいただくことに慣れてしまってるのかも知れない。とは言うものの小さなネットワークこそ強みだと思っているので、それが自信にもなる。

「経産牛=安く買い叩いて」
何度聞いてきたことか。昨年、友人から「新保さんて経産牛を安く買い叩いている人でしょう」と言ってる人がいたと聞いた。

へーそういうこと言う人いるんだと。驚くこともなく、腹がたつこともないけど、断片的な情報を切り取って自分の知識のように発言する人は、なにもこの人だけではない。行ったこともない飲食店を批判したり、会ったこともない人の悪口を言う、なんてことはまさにつまらない情報の切り取りでしかない。

情報過多の時代だからこそ、信用できる人の話を聞いて、信頼できる人の紹介でモノを選んだほうが間違いないかと。それと自分の足で良いものはとりにいかないと、待っててもやってこない。

いまでも経産牛は(ものによるが)セリで安価で落札されている。言葉選ばずに言ってしまうと、どうしようもない経産牛だと売り物にならない。生産者から相対でいくらでもいいから買ってくれないかと持ちかけられることもある。

生産者としては廃棄するよりいいわけで、「買い叩く」という言葉はどこからでてきたのか不思議で仕方ない。商売なので、値段のかけひきはするだろうけど、安く買われることをタダみたいな値段だとか、言葉のチョイスが乱暴すぎる。

例えば、どうしようもない(商品にできない)経産牛でも、加工品など使い道はあるわけで、そこに価値が生まれれば双方にとっても良いと思うのです。ダダみたいな値段かも知れないが、それがその牛の価値だから仕方がない。そこに付加価値をつけて少しでも高く売れるように努力するのが商売だと思う。10円でも高く買って10円でも高く売れるように努力してこそ牛も生産者も報われるのではないだろうか。

サスティナブルやエシカルなど、モードに乗っかって、経産牛をこじつけてみたところで、結局はおいしいかおいしくないかだと思うのです。宣伝に誇張はある程度は必要かも知れないが(サスティナブルな経産牛とか)、僕は職人なので、どうすればおいしくなるかにこだわりたい。そこに価値を見出してもらえれば、僕の仕事の評価ととらえておいしい酒が飲める。


ありがとうございます!