文化と助け合いの断絶を防げ
世代が変わると文化と助け合いの断絶が起きることがある。
集落で、たまに草刈りや空家の管理に来てくれるおっちゃんと話したところ「空き家を譲った人が全く管理もしなければ草も刈らないので周囲に迷惑にならないように私が引き続きやっている」とのこと。
いわゆる2拠点生活者で、たまーに来てはのんびり田舎のスローライフを楽しんでいるようだ。
自治会費も払ってくれているので、てっきりそのおっちゃんの所有物なのかと思っていたのだが、どうも違うらしい。
どうも所有者である2拠点居住者は、留たまに帰るだけなのに自治会費を払うのはおかしい!とゴネた過去があり、仕方なく元の所有者のおっちゃんが払っているのだそう。
管理も、もはや所有者ではないそのおっちゃんがずっとやっている。こうなるともはや「所有とは何か?」と思わざるを得ない。所有と管理の義務とはセットではないのかと。
なお、空き家だから自治会費はいらないというより「空き家だからこそ、集落の維持管理をするために払ってもらわないと、そもそも存続が難しい」という事情などおそらく知る由もないか、何らかの理由があるのかもしれない。
自治会費って何であんなに払わなければならないの?と思う人は、ぜひ一度自治会の役員でもやってみてほしい。
ゴミ捨て場がきちんと維持されているのも、道がキレイで車に傷がつかないのも、災害のときの備えも、役所など公共や各種だんたいとの間繋ぎも、結構自治会というのは色々なことをやっているものだったりするのです。
ほぼボランティアで。
そりゃ無くたって公共サービスが受けられる自治体はたくさんあるかもしれない。
けれど、そんな恵まれた環境というのはこの100年の人口ボーナスが生み出した非常に稀有な状態なのだ。
自助、共助があってはじめて公助は機能する。最初から公助ありきで「共助?助け合い?そんなもん知らないよ」という人が増えると、さてどうなるだろう。
こういった自己都合主義をみるにつれ、「すぐ活用できる空き家」は少なくてよいと思うようになった。共同体によるスクリーニングを経た人だけが入れるようにしておかないと、文化と自助の断絶が起きるからである。
これは田舎のムラだけではなく、いろんな種類のコミュニティにおいて言えることだなと。
草刈りも、掃除も「どこかの誰かがやってくれるもの」だと都市に住んでいるときには、私も思っていた。でも、それは極めて特殊で“有難い”ことなのだということを、せめて小さな集落の自治をしながら世に発信し続けていこうと思った。
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