「誰かのため」というけれど・・・。

昨日、「7つの習慣」を読み直していた。
※これやと思った本は、何度も読み直すで♪

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最近「〇〇のために頑張ってきた。けど、裏切られた。悲しい。こんなにしんどいのは〇〇のせい」なんて話を聞いた。というか相談を受けたんよね。

それを思い浮かべながら、第1の習慣について、熟読した。



第1の習慣「主体的である」
周囲の人や環境のせいにせず、自分にできることを考える力。




僕がたびたびnoteで使ってきた「原因自分論」と同じニュアンスよね。
※この言葉は、リベ大の両学長が使っている言葉。しっくり来たんよねぇ。

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「7つの習慣」や「リベラルアーツ大学」に出会う前は、「全ての責任は僕にある」「自分で胸を張れる人生を生きる。だから人のせいにしない!」なんて、自分の言葉で語っていたね。
※昔から、「主体的に生きる」「原因自分論」はできていたかなぁと思う。



いずれにしても、僕の主観やけど・・・。

全ての原因は自分にある。自分が選択した結果と認識することね。
この考え方を意識することで、大体のストレスから解放されるんよね。
※「自分のせいにする」とは少し違うよ。自己肯定感が下がっちゃう。


「家族のため」「スタッフのため」「お客さんのため」

これって、僕もよく言うし「〇〇のため」っていう表現を使う人は多い。

ここで履き違えてはいけないこと。

「〇〇のため」という選択肢をとったのは、自分であるということ。
「〇〇のために」が「〇〇のせい」に、いつの間にか変わっていたら、自分が選択をしたということをしっかりと認識できていないということ。
「〇〇のため」というものの、矢印は〇〇ではなく、自分に向けること。

少しこねくり回してるから、わかりにく文章になっているかな・・・。

20歳くらいの時から僕が言うていた例が分かりやすいかな。

【case もし、信頼していた彼女に浮気された時の思考】※(嫁さんが過去に浮気したわけではないよ(笑))

・彼女や浮気相手を怒る→「〇〇のせい」

・浮気をさせた原因は自分にある。浮気をする相手と付き合った選択肢をとったのは自分→「主体的に生きる」「原因自分論」



僕は、「綺麗事」「正論」をよく言うけれど・・・。

これって感情ではなく、ロジカルに考えているから。

自分の人生をハッピーに生きていくには、、、

先人たちが言ってきてくれた「綺麗事」「正論」に準じて生きたほうがええやんと、理屈で考えているんよねぇ。


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