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目の前の出来事を楽しむと、気づくことが多い(36/100)

その場に集中せずに、自分のことばかり考えてしまって
その場を楽しめてないという傾向に気づいた
ので

今日は、目の前の出来事に集中して楽しむということを試してみました。

地元を散策しているときに、駅に古い電車が開放されていたので
家族で乗ってみることにしたのです。

車内を見ていると、車掌の帽子をかぶることができるコーナーがあり、
何の迷いもなく、娘がかぶりました。


めっちゃ可愛かったし、面白かった。

娘はノリノリだし、車掌の帽子をかぶった姿は、とても可愛くて、
思わず写真を取りたくなってしまった。


昨日の、Facebookに投稿するために、写真を撮ろうではなく、
可愛くて写真を思わず撮る→Facebookに投稿したいな、という流れだ。
Facebookではなく、noteに投稿してしまっている。

そして、娘の姿を見たときに、僕もかぶってみたいなと思い、かぶってみた。

めちゃくちゃ恥ずかしそうである。

前から他の人が来て、恥ずかしくなって、写真をとったら、すぐ帽子をとってしまった。

けど、恥ずかしかったけど、写真をとってから帽子をとったのだ。
写真を撮りたい。そう思ったのだ。

その場を楽しんでるからこそ、感情が揺れて、その感情を残したいと思って写真を撮った。本来写真とはそういうものかもしれない、そんなことを思った。


そして、前から他の人が来て、というその他の人たちは、いわゆる鉄道オタクの人たちだった。

彼らは、僕のことなんか目も暮れず、車内にあった黄色いヘルメットをつけて、
目をキラキラさせながら、電車の下部を見る体験に出かけていった。

全く他人の目なんか気にせず、自分が好きなもの
電車に夢中だった。

僕のことなんか、眼中に全くないのだ。
車掌の帽子をかぶって、その姿を見られると恥ずかしい、なんて思っている僕のことなんてどうでもいいのだ。

むしろ、車掌の帽子をかぶるのなんて当たり前のことかもしれない。

車掌の帽子より、電車なのかもしれない。
そこは分からない。

けれども、この一連の出来事から、いくつもの気づきがあった。

実際にその場を楽しもう(車掌の帽子をかぶる)とすると、感情が揺れる(楽しい、恥ずかしい)ことがあって、こんな風にnoteが書けるほど記憶に残っている。
これは、頭で考えているだけじゃなく、やってみたからこそ体感があったのだ。
感情が揺れたから、それを残したい(写真を撮りたい)となり、伝えたい(noteを書きたい)になっている。

そして、自分が思っているほど人は自分に興味がない(他の人は電車に興味があった)のだ。
見られて恥ずかしい、なんて自意識過剰なのである。

そして、好きなことをしている(電車が好きで乗りに来ている)人は目がキラキラして、まわりのことなんか気にしていないのだ。
僕は、人のことを気にしていることが多い、好きなことをしていない、夢中になっていないことが多いということも今回の大きな気づきだ。

あ、けど、わりとこのnoteを書いているときは、まわりのことを気にせず書いてるな💡
セッションをしているときも、周りのことを気にせずめっちゃ集中しているな💡

とこんな気づきにもつながりました。

これも、実際に車掌の帽子をかぶってみた、その場を楽しんでみたからこそ気づいたことです。

ということで、その場に集中して、楽しんでみると、気づきがたくさんあったというお話でした。


単なる日記のような文章ですが、僕的にはとても深い気づきがあった体験だったので書きたくなって書きました😆

最後までお読みいただいた方がいたら、本当にありがとうございます。

ではまたー

読んでいただきありがとうございます。もし心に残る言葉があれば、サポートしていただけると嬉しいです。今後も応援を励みに書いていきます。