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#89.『怒りを愛だと認識』 ヘタレなオレのエピソード

このnoteは、自分の弱さや恥ずかしい部分を率直に表現し、それを受け入れることができれば、人生の質が高まるのではないかと思い、100日間書くことにしました。

今日で89日目。

今日のヘタレなオレのエピソードはこちら↓↓


【怒りを愛だと認識】


最近、自分の性格を振り返る機会が多い。


『性格』をテーマに研修を行なっていた影響もあるが、

自分の性格ってなんだろう?

人との違いってどんなとこだろう?


そんな風に、性格について考えている中で、

本当に自分はヘタレだなぁと思うことが多い。


生活でも仕事でも、なかなかに周りに心配をかけることが多い。


心配かけてるんだけど、

内面的には『怒られないようにしよう』という気持ちが強いことに気づいた。


家族にも、仲間たちにも『怒られないないように』

そう思っているのだ。


けど、これは、否定系の言葉だ。

否定系の言葉は、脳は理解できないということが心理学では明らかになっている。


『〇〇ない』と思っていると、脳は『ない』を理解できないので『〇〇』ばかり意識して、現実化してしまうというものだ。


だから、怒られたく『ない』と思えば思うほど、怒られることをイメージしてしまうから

結果的に怒られるような行動をしてしまい、怒られてしまう。ということだ。


まさに、自分から、怒られにいっているようなものなのだ。


なんてこった、自分から、怒られたくないとか言っておきながら、

怒られにいっている。


なんとヘタレだ。


妻にも、仲間や仕事仲間達にも、怒られようとしているということになる。


これは、何かがおかしいと、考えていったところ、



生まれ育った家族に思い至った。


よく思い出すと、よく家では頻繁に『怒り』が飛び交っていた。


家族の誰かが誰かに怒る。

感情的に、怒ったり、泣いたり、怒りあったり、よくあった。


それを見て、そんなに怒らなければいいのに、そう思っていたし

怒られたくないなぁと、怒られないように、いい子をしていた時期もあった。


けれど、家族から一番心配されているのは、たぶん自分だ。


怒られないようにしていたから、結局は一番心配させているのだ。



そして、家族の思い出として、怒りがよく思い浮かぶ。


自分の中で『家族=怒り』のような公式が、自然と出来上がってしまっているのだ。


そして『家族=愛』という公式も同時に自分の中で出来上がっている。

だから、自分の中で『愛=怒り』という公式が、自然と染み付いてしまっていたのだと、気づいた。


人に心配させることで、愛を確かめるような行為を気付かないうちにしていたということだ。

そう考えると、これまでの自分の行動の辻褄が合うような気がする。


やると言って、やらない。

できると言って、できない。

そんなつもりはなかったのに言っちゃった。

感情的に反応する。


これらの行為をよくしてしまう。


結果的に、相手から心配させたり、相手を怒らせたりする行為を自分はしていたのだ。


これは、結局は、『怒られる=愛される』と自分の中でなってしまっているから

怒られているようで、心配されているようで、愛を感じているのだ。


これは、かなり根深い。



さて、


そんなことで愛を確かめなくてもいいよ。


そう言葉で言ったからと言って、すぐに実感するわけでもない。

実践できるわけでもない。

長年身体に染みついた反応のようなものだからだ。


ご飯食べたら歯磨きする、くらいに習慣化している感じだ。


なので、この習慣を少しずつ修正していくには時間がかかる。


まずは、この構造を理解すること。


そして、愛されたいのは分かったと。

けれども、誰かに愛されないといけないのかという話がある。


なので、自分が自分を愛することをすると、一つ改善しそうではある。


家族から、もっと愛されたい、と思っていたのが一つの要素としてあるから、これは、寂しいという感情から来ている。

誰かから愛される、その体験を自分が自分を愛することで満たすというのは、やっていくと良さそうだ。


もう一つ、そもそも家族から愛されていなかったのか問題だ。

これは、どう考えても愛されていたのだ。

当時の自分は感じにくかったが、いま子育てをして、改めて考えると、家族は自分のことを愛してくれていたと理解できる。

これは、理解できるという言葉を使っているから、もっと腑に落としていく必要はある。



そして、『人から注目を浴びたい』という要素もありそうだ。

心配される、怒られる、というのは、注目を浴びる行為だ。


この点を、別の方法で満たしていくことは重要だ。

それが、自分で自分に注目するというのは先ほどと同じだが、これをしていくと、だんだんと、注目を浴びたいという欲求は減ってくるだろう。


そして、心配させる、怒らせるとういう方向で注目を浴びなくても、

喜ばせるという方向で注目を浴びることもできる。


自分で自分に注目することで、自分が満たされていくと、

注目を浴びることは必要なくなるが


自分の持っているもので、自分の持っている強みで人を喜ばせることをただ淡々とやっていくということをすると、結果的には喜んでもらえることにつながるだろう。

そうすると、その結果、注目を浴びるというか、喜んでもらえる。

笑顔を見ることができる。


これは、怒りという感情や心配という感情で、相手の感情を揺らして、自分が相手を揺らしているということと同じように


相手が喜びという感情で揺れること、それは自分の幸せを感じることにもつながると考えられる。



これらの方向性で、『愛=怒り』の公式を、少しずつずらしていって、現実的に好循環になっていくように、『愛=幸せの好循環』という公式に緩やかに変化させていこうと思う。


まずは自覚して、そして、結果をイメージしながら、一歩一歩やっていく。


毎日歯磨きしていくみたいな形で、毎日意識して続けていって、気づいたら歯磨きしているようになっていることを目指すしか、習慣は身についていかないだろうと思う。


何十年も怒りの方の公式で生きてきたから、そんなにすぐには変わらないだろうけど、諦めずに、少しずつコツコツやっていこうと思う。

まぁ、多分いったりきたりしながらになるが、その道すがらも楽しんで進んでいきたいと思う。


そんなことを、性格を振り返っていたら気づいて、改めてここからやっていこうと思ったよ。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。

残り11本、いろんなヘタレなエピソードを書いていこうと思います。

よかったら、また見てみてくださいね🍀

SAKAMO / 坂本岳之

読んでいただきありがとうございます。もし心に残る言葉があれば、サポートしていただけると嬉しいです。今後も応援を励みに書いていきます。