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人生は「わたしはだーれだ?ゲーム」に近い(61/100)

今日は、朝にNHKでやっていた子ども番組を見て、人生について考えたことについて書いていきます。

見た番組は、7:30からやっている「みいつけた!」

今日は、おでこに貼ったお題が何かを当てる「わたしはだーれだ?」で遊んでいました。

こんな感じです↓↓

緑色のサボテンみたいなキャラクターのサボさんがおでこにお題をつけて、
それを周りの人(スイちゃんとコッシー)からは見える状態。
(画像では見えにくいですが、お題はクレヨンです。)

何のお題をおでこにつけているかを、サボさんが質問をしながら考え、気づいて、最後に答えを出す感じです。

サ:わたしは動物ですか?
ス・コ:違いまーす。

サ:わたしは道具ですか?
ス・コ:そうでーす。

サ:わたしは何色ですか?
ス・コ:いろんな色です。

あいまいな記憶の会話

みたいな。

結果的に、サボさんは「答えは、色鉛筆!!」と答えて
「惜しい!クレヨンでした〜!!」って感じだったのです。

で、これを見て、何かふと人生について似ているなと思ったのです。


僕自身よく『自分は何者なのか?』を考えることが多かったし、

僕は人の相談にのることを仕事にしていますが、
同じように『自分は何者なのか?』で悩んでいる人はとても多いです。


これって、まさに『わたしはだーれだ?』ゲームと同じではないかと‼️

周りの人は僕に対して「あなたは○○だよね」と言ってくれることは多い。

僕も、相談してくれる人と話をしていると、「あなたは〇〇なんだな」と思うことが多い。

自分のことは、分からないけど、周りから見ると一目瞭然ということなのだと思う。

人生は『自分はなにもーのだ?』ゲームに近いのでは‼️と。

けど、ここで、大事になってくるのは、
周りの人が言うことで一喜一憂してしまいがちだけど、
周りの人が言ってくれることが絶対ではないということです。

人生の方のゲームは、おでこにお題が書いてあるわけではない、正解が書いてあるわけでないのです。

何者かのお題を正解することが人生の目的ではないのではないか
自分を知っていきながら、自分を使って楽しんでいくことの方が大事ではないだろうか。

そんなことを思ったのです💡

例えば、自分が【12色の色鉛筆】だったとしよう。

周りの人は、いろんなことを言ってくると思う。

書き終わった紙だけを見て

あなたは4色ボールペンだよ

あなたはクーピーだよ

あなたは色鉛筆だよ

どれも、紙だけを見れば、そう見えるわけです。


ちょうど黒の色鉛筆を使っているところを見た人は

あなたは鉛筆だよ
ノートあるからどうぞ

というかもしれない。
色鉛筆ではなく、鉛筆として認識する人もいるわけです。

こんな風に、周りの人が言うことは、その状況や場面、一側面だけから見て思うことを言うわけです。

いろんな色がある色鉛筆なのに、周りの言うことが絶対と思うと

4色ボールペンと言われれば、4色だけを使うかもしれないし

鉛筆と言われれば、黒だけを使って、絵を描かずに文字ばかり書くかもしれない。


けど、大切なのは、自分が何者かを正解することではなく
自分をどう使って楽しんでいくかではないだろうか。

自分のこれも使えるかも、これ使ってみよう
こんな風に書いてみよう、絵描いてみたらどうだろう

そんな風に、絵を描いてみたり、文字を書いてみたり
紙に描いてみたり、壁に書いてみたり、
小さく描いてみたり、大きく書いてみたり

こんな風に使うと、こんなことできるんだ
こうやると楽しそうだな、面白いな

そんな風に自分を自由に使って、やりたいことをやっていくことの方が

何者かのお題を正解するより、よっぽど幸せ度は高いのではないか

そんなことを考えたわけです。


そして

自分は色鉛筆かもなぁ
12色くらいの色鉛筆かもなぁ

そんな風に分かってきた時に
心の中に出てくるのが

・色がしっかり出るからマジックの方がいいかも
・24色の色鉛筆には負けてるな
・絵を描くより空飛びたいからカブトムシになりたいな
などなど

こんなことが浮かんできたりします。

けど、もしマジックになったとしても
・薄い紙だと裏まで染み込んでしまって書く場所選ぶな、とか
・匂いが嫌だな、とか
いろんなことが気になったりするわけです。

12色の色鉛筆でも、
描き方を身につければ24色の色鉛筆と同じようなものも描けるし、
24色もあると、多くて使いきれないこともあるかもしれません。

空を飛びたいという気持ちが強いなら
空を飛んでいるカブトムシの絵をものすごく気持ちを込めて描くこともできるかもしれません。


自分を知って、使い方を身につけながら、どう楽しんでいくかを工夫すること
それをどんどん試していけばいくほど、他と比べることもしなくなるし、
『自分は何者だ?』という正解探しで正解するだけより
もっと人生楽しんで、満喫できるのではないかな。

どう使っていくと楽しそうかなって考えていくと
エンピツ削りあるといいな、とか
どこに飾りたいな、とか

自分がどこにいると幸せなのか、一緒にいたい人や
いたい場所がより分かってきたりするのではないかな。


そんなことを、朝の子ども番組を見ながら考えていました。

ということで
人生は「わたしはだーれだ?」ゲームにかなり近いけど
何者かの正解を探すことがゴールではなく、
自分を知って、どう使って、やりたいことをやるか
どう楽しむか、どう満喫するかなんだろうな

と考えたというnoteでした✏️

自分の色んな使い方を試してみよう
というのが今やっている100本noteチャレンジだなって改めて気づきもしました💡

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまたー




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