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わたしの趣味に何をする。

「趣味はなんですか?」

先日、初対面の人にそう聞かれて耳を疑った。思わず「私ではない誰かに聞いているのだろう」という100%の確信のもとにその発言をスルーした。

なぜ私の趣味に興味をもったのかは謎だが、大人になってから履歴書以外で趣味を問われるとは思わなかった。もしかしたらお見合いだって今時「ご趣味は?」なんて聞かないかもしれない、だって令和だし。「お休みの日は何をしているんですか」ならまだギリギリわかるが、ストレートに趣味を問われて私の脳はフリーズした。

ちなみに私の趣味は、読書・映画・音楽だ。本屋をはしごしたり、映画館でフライヤーを漁ったり、フェスに出演するアーティストを予想・チェックしたりするのが好きだ。実際に映画館で映画を観たりライブに行ったりする時間がないのが残念だが、ハードディスクは常に映画でいっぱいだし、積読は増えるばかりだし、バンドやDJをyoutubeで貪っているとあっという間に日が暮れる。日々を謳歌するにはあまりに時間と体力が足りない。もちろんお金も足りない。

とはいえ若い頃は趣味を問われると素直に「読書です」と答えていた。ただ、その後の相手のリアクションについてどうしてもモヤモヤが残ってしまい、だんだんと読書という趣味を隠すようになった。

「へえ、頭いいんですね」「かっこいい」「私、本とか読まないな~」

「読書が趣味」発言をするとだいたいこんなようなことを言われていたような気がする。もう実際の発言なんて忘れてしまったが、とりあえず「そんなことを言って欲しいんじゃない」とすれ違いだしたカップルみたいに感じたのは確かだ。ただ単に好きなことを答えただけで、決して褒めて欲しかったわけじゃないし、文化人風を装いたかったわけじゃないのだ。

そもそも、読書って言っただけで、べつに純文学とか専門的な本を読んでいると言ったわけではない。マンガかもしれないしエロ本かもしれない。もしかしたら折り込みチラシを眺めているだけかもしれなのだ。というかそもそもウソかもしれない。

もう本音を言ってしまえば「趣味とか聞くなよ、めんどくせえ」ということなのだけれど、それを聞いてくる人は、なんとなく「自分の理解の範疇にいる人間かどうか」を確かめたいのではないかと私は考えている。我ながらとんだひねくれ者だ。

ゲーム、わかる。SNS、わかる。音楽、部分的なら。アイドル、わからない。スポーツ、わかる。読書、わからない。そんな風に選別されているのではないかとついつい邪推してしまうのだ。

そもそも親しい人にあっさり裏切られたり、ありふれた日常が突然なくなったり、電話してきた人間が自分の子供かと思っていたら犯罪者だったりする時代だし、世の中の娯楽なんて両手両足の指じゃ数え切れないくらいある。そんな複雑な社会の中で人の趣味をどうこう言ったり判断したりするのは野暮だ。思いを馳せるのは推しの趣味だけでいい。

だからもう、人に趣味を問うなんてことはやめて、シン・ゴジラよろしく「私は好きにした、君らも好きにしろ」と言いながら各々の生活を潤わせることに邁進してみた方がいいのではないだろうか。あと履歴書の「趣味・特技」の欄は一律廃止していい。知らない奴に趣味など言いたくはないし、特技が何もないことはここだけの秘密にしたいのだ。

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