みんなちがって、みんなみんな
自分が他の人と違うこと、そしてそれがとても厄介だということを思い知らされたのは小学生の時だ。
私は生まれも育ちも同じ土地で、父と母と兄弟と共に暮らし、身体は少し大きい方だったけど、喜怒哀楽も少し激しかったけれど、その他は大した特徴のない子供、のように見えた。
左利きということを除いては。
自宅の近所の幼稚園に通い、そのまま近所の小学校にあがった。幼稚園の頃からきっと左利きだったはずなのだが、それで困った記憶がないのは、おそらく「他者」を意識できるほど自分も周りも心が発達していなかったおかげだったのだろう。それは今思えばとてもありがたかった。幼稚園児ですでに孤独を深めていたら私の人生は混沌を極めたかもしれない。
小学校に入ってすぐだったのか、何年か経ってからだったのかは定かではないが、左手で作業することがまるですごいことのように言われ始めた。もちろん特別なことなどしていない。字を書いて、給食を食べる、ただそれだけのことだ。何人かが私を囲み「すごい、どうやってるの」「もういっかいみせて」そんなことを言っていたような気がする。
人によってはそれをいじめと捉えるかもしれないが、私はただただ「そっとしておいてくれ」と思っていた。左手を使うことは、自ら選んだというよりも気がついたらそうなっていたことで、自分としては、他の生徒と同じように、ただ先生に言われたとおりに漢字の書き取りをして、時間になったら箸やスプーンをもって給食を口に運んでいただけだ。特別なことなど何もしていない。「すごい」と言われて「右手で持てる方がすごい」と思ったり、時には言ってみたりもした。
そうやってしばらくは適当に相手をしていたのだけど、いよいよ本当に面倒くさくなり、「右利きになりたい」と思うようになった。私が左利きだから、他の人と違うから目立ってしまうのだ、と。そして、静かに過ごしたい一心で右手を使う練習を始めた。
学校ではもたもたするわけにはいかないから慣れるまでは左手を使って、自宅では右手を使う。食事の時はできる限り右手、空いてる時間は右手で字を書く練習をしばらく続け、なんとか右手で生活ができるようになった。
もちろんそれだけが理由ではなく、「取り巻き」のみなさんの興味が他に移ったということもあると思うが、やがて私の学校生活も平静を取り戻した。自分としては結構練習したつもりだったが、結果として現在、字を書くのは右手、食事は左手、投球は左手、道具は仕様に合わせる、そしてダーツとボウリングはどちらもしっくりこない、という我ながら妙な利き手ライフを送っている。やはり飯を食うなどの本能に近い行動をわざわざ慣れていない方の手でするというのは、自分が一番面倒に感じるものだ。
そして最近、多様性や生きづらさの本に触れることが多いなかで、ふと、思うことがある。
あの時、私の左利きに騒いでいた子たちは今どうしているのだろう。私が顔も名前も覚えていないように、相手もまた私のことなど覚えていないだろうが、きっとどこかで元気に暮らしているはすだ。一生懸命働いて多くの人に信頼されているかもしれない。大切なパートナーがいるかもしれないし、子供がいるかもしれない。きっともう二度と関わることはないけれど、勝手に想像を巡らせる。
そしてもし、彼ら彼女らの、あなたの大切な人が、周りとの違いに悩んだり困ったりしていたら、まずはいろいろな人の文章を読んでほしい。そして共に考え、答えを探してほしい。あの頃の私たちはみんなどこまでも未熟で、とてもそんなことはできなかったけれど、大人になった今ならできるかもしれない。そんなことを考えながら、私は開いた本から時折目を離し、遠くの空を見上げる。過ぎ去った日々ではなく、未来を生きるための本を読みながら。
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