見出し画像

生きる意味

2月から悩んできた足腰の痛みだが、5月に入ってからはほとんど気にならなくなってきた。薬を飲み忘れるくらいなので、実際痛みは減っているようだ。

さて、次は体力づくりだ。有酸素運動をするぞ!とさっそくYouTubeで初心者向けのシャドーボクシングの動画を見てみた。
真似した。動きやフォームが似ても似つかない。誰にも見られたくない…と思ったが、息が切れたので運動にはなっていると思う(ただ単に体力がないだけの気もする)。


今日は、以前観たこころの時代の本を読んでいた。

仏教に末法思想があるように、旧約聖書のなかにも黙示思想という終末論がある。「コヘレトの言葉」は、黙示思想を示した「ダニエル書」の少しあとに書かれたと考えられるらしい。

度重なる戦争や、経済の変化などの時代背景によって生まれた終末論。死後の救済を説く、キリスト教にとっては重要な教えだ。一方で、「コヘレトの言葉」は儚い人間の生を強調した言葉が多く、死後に永遠があるとは述べていない。対照的な話が同時に収められているのは、バランスを取るためだという。

終末論は受け取り方によっては、つらいばかりの現世よりも来世を大事にする刹那主義に走る危険性がある。そもそも終末があるとしても、神の定めたその時期を、人間が知ることはないのだ。ひとはただ、いまを生きるほかない。

キリスト教の聖書は、会議ごとに異端の教えを除いて編纂したもの…というのが世界史で習ったイメージだった。だからか、教えも一本道なのかと勝手に思っていた。方向性の異なる教えを、一方を排除せずどちらも残しているのが面白い。

聖書のなかでも難解だとされる「コヘレトの言葉」。ちょっと読んだくらいでわかった気はしないけれど、読んでいて好きになったのはこの一節だ。

太陽の下では食べ、飲み、楽しむことよりほかに人に幸せはない。

労働し、食事を摂り、ささやかな楽しみを見つける。欲張りはしない。それが最上の幸せだと私も思う。どんな不条理に直面しても、生きていればきっと幸せに出合える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?