『歌の力』というものを 初めて知った夜

中学2年というと もっとも野蛮で狡猾で 生意気で 人としての知能や道徳心が乏しい時期である
修学旅行となると テンションも上がり 頭がおかしくなる
ましてや 1日中 見学やなんやらと行動しまくって 疲れたところに 夕飯時である
腹の減り方が半端ではない
気も立ってくる
もっとも たちが悪い集団だと言える
当時は 神戸の公立中学の男子は みんな丸刈りである
それが 食べ物を前にして 目が血走っている
旅館の大広間
数百人の男女が『いただきます』の瞬間を 出発合図を待つ100メートル走のスプリンターのように 一斉に待ち構えていた
そこに 旅館の親父らしい 太ったおっさんが現れる
嫌な予感しかない
今から 皆さんを歓迎して『阿蘇の恋歌』を歌う という
余計なお世話 早く飯食わせろ である
キャンディーズやアグネス・チャンや太田裕美や麻丘めぐみが歌う というのなら ギリギリ我慢できる
太ったおっさんが『阿蘇の恋歌』である
ミスマッチングも甚だしい
失望のどよめきが 大広間を支配する
暴動に至る負のエネルギーは 海千山千の昭和の中学教師という暴力装置によって 辛うじて抑え込まれる

そういった殺伐とした雰囲気に 全く呑み込まれる素振りもなく 太った親父が 膝立ちで歌い始めた
伴奏も何もない 完全ひとりアカペラである
その第一声
大広間のざわつき 荒れた空気を 親父の口から発せられた声の空気振動が一掃した
歌が進むに連れ 親父の歌声だけが 大広間に響き渡る
歌が終わり 静寂の後 ハッと我に返ったような拍手

何十回 何百回と 親父は 聴く気が1ミリもない 修学旅行客に 歌を聴かせ続けたのだろう
そして 何千 何万という クソガキに 歌の力を 思い知らせ続けたのだろう

そのうちのひとりが わたしだ

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