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昔ハマったジャズ再考 AEOC

昔 たしなんだ音楽が 動画を見られるようになったのも その要因だが 30 〜 40年の時を経て ぐっと身近に感じられるようになった
当時は よく理解できなかったものも多い
とりわけ AEОC(アート・アンサンブル・オブ・シカゴ)
たまらん

AEОCは ブリジット・フォンティーヌの『ラジオのように』というアルバムにも参加している
ライブの とっ散らかった印象とは違い きっちりと形にハマった演奏で こんな事もできるんだ と失礼な事を思う

AEОCの演奏は 音だけで聴くと かなり退屈な局面が多い
相撲の仕切りや 野球で バッターがチャンス・ボールを待って 構え ボールを見逃し 難しいストライクをカットしてファールにする そんな時間だ
音が出される
それは クラクションが鳴らされたり 鐘が鳴らされたり トランペットやサックスで短い しかし連続性のないリフが奏でられたりするわけだが 断片的であったりする
その音は 全くの偶然のような1音であったり 何かの布石を感じさせるものであったりするが 聞き手は そこから何が起こるのか 固唾を呑んで聴いていたり ボケ―としてたりする
体調が良いと 前者だが 悪いと ボーッと聞いていたりする
しかし 必ず 立ち会いは始まるし(いきなり立ち会いの場合もある)ヒットは放たれる

もっとスケールを広げてみよう 
宇宙を彷徨う星屑がある 
広大な宇宙には 至るところにそれがある
それが 他の星屑に接近し 引力で引き合ったり 衝突して四散したりする 
やがて そうこうしているうちに 秩序らしきものが 生まれる
やがて 断片的な秩序は衝突したり 引き合ったりを繰り返し より大きな秩序 星雲 惑星 恒星 等など になる

AEОCの音楽を聞いていると そんなことを考えたりする

無造作に投げ出された音が そのまま放置されることもあれば 他の音と絡んで 展開の予感を醸し出したりする
それが 大きなアンサンブルに発展したり 肩透かしを食らわせたりする
誰かが 長い 気合の入ったソロをはじめる
他の誰かの 首都高速の合流に突っ込むような ちゃちゃ入れによって 演奏は 意外なところに持っていかれたりする
どこまでが打ち合わせで どこまでが アドリブなのだろう
そして 音のうねりが合わさって 大団円を迎える
メンバーがソロを交換しながら それは続いていくが ちょっとしたきっかけで うねりがほぐれはじめ また 混沌がはじまる

つまりは AEОCの演奏は 宇宙の誕生と終焉なのだ

ま こんな事 感じました


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