選挙は「自分にとって、誰を利用するのが一番得か」で選べばいい。

 前回の記事で書いた通り、自分は石丸伸二の政治家としての資質に大きな疑問を抱いている。だから「石丸伸二を積極的に支持する」という人の気持ちはよくわからない。
 ただ今回の選挙では、積極的支持というより「あまり俺(私)たちを舐めるな」「若者を無視すると恐ろしいことになるぞ」(含む面白そうだから)という気持ちで投票した人もかなりいるのではと感じている。
 結果。
 上の世代や既存政党(支持層)は石丸伸二が2位という結果に驚愕し、大慌てしている(※)「小池百合子の三選」という結果がかすむ勢いだ。
 これで今後は「ネットのみで情報収集する若い世代」を無視できなくなる。(実際、都知事戦の総括的な発言はそういうものが多い)
「石丸伸二を『自分たち若い世代を無視して、舐めていると痛い目を見る』というメッセージを託すシンボルとして今回は利用した」という人にとっては、投票行動として大成功といっていい。

 石丸伸二に何か問題があると思うなら、次回はそのことを鑑みて投票しなければ(勝たせなければ)いいだけだ。
 小池百合子も、有名な「排除発言」や若狭勝の扱いなどを見ると石丸伸二と比べて人格が取り立てて優れているわけではない。それならば「目に見えるところで強い奴に噛みつく(とも自分は思わないが)石丸伸二のほうがまだしもマシ」という考え方もできる。

 自分は「自分の一票を誰かに託す」という考え方で投票したことは一度もない(こういう現実とかけ離れた綺麗事すぎる言葉は止めて欲しいと思う)

 政治家は自分に票をもたらす人間のほうを向く。
 だから政治家に「民意」を意識させ続けるには、「票の力」を誇示し続ける必要がある。
 自分にとって選挙の一番の目的はこれである。

「自分の一票なんて」と思う人もいるかもしれないが(自分もよくそう思っていたが)今現在権力を握っている人間は、有権者が無力感を抱いて政治に無関心、ノータッチでいて欲しいのだ。
 権力者にとっては何の審判もされず、判定も受けず、何も変化せず、自分たちが権力の座についたままでいるのが一番楽だからだ。

 昔、とても正直な当時の総理が「有権者は家で寝ていて欲しい」と言ったことがあった。 

 記憶に残るのが、森喜朗首相のケースだ(略)
「寝てくれればいい」発言は投票日直前のことだった。記者から失言を知らされた野中広務自民党幹事長の、苦虫をかみつぶしたような表情が忘れられない。

「一票や二票で何が変わるのか」
 そう思っているなら、こんなことを言う必要がない。余裕に構えていればいい。
 だが実際には変わることがある。だからこういう失言が飛び出す。

 政治は、露骨に言えば権益の配分の争いだ。
 あらゆる層、あらゆる背景を持つ人間や組織が「いかに自分の権益を拡大するか」を目的に争ったり、駆け引きによって調整したりする。
 ありとあらゆることが争点になるが、そのすべてに適う方法がないなら、自分の中で優先順位を決めて行動するしかない。

 アメリカではトランプを共和党の大統領候補にしないために、長年の民主党員だった人が共和党の予備選に参加してトランプの対立候補に投票している。

登録先を変更した民主党支持者も
 こうした呼びかけが行われる中、1月19日、マンチェスターで行われたヘイリー氏の集会に参加したヘラ・ロスさん(69)も民主党支持者でありながら、登録先を変更し、共和党の予備選挙に参加してヘイリー氏に投票することを決めた1人です。
 ロスさんは「所属政党」の欄に「申告しない」と記入した有権者登録の用紙のコピーを示しながら「私は根っからの民主党員だ。“申告しない”に変えようと考えたのは、この50年で初めてだ」と話していました。
 そして「目的はトランプ氏の大統領候補の指名獲得を阻止することだ。トランプ氏は2021年1月6日に反乱を扇動した。私たちはもっと真剣に考える必要があり、民主主義のために闘わなくてはならない。これが私が自分の1票でやろうとしていることだ」と話していました。

 何としてでもトランプ再選だけは阻止しなければならない、そうしなければアメリカの民主主義は終わるという強い信念があるなら「五十年民主党員として予備選に参加してきた」ことよりも、「自分がトランプ再選阻止のためにできること」を優先させて、その中でできることをやるしかない。
 自分もアメリカで選挙権を持っていたら、これくらいのことはする。
「現在の制度の枠組みの中で、自分の一票を自分の(信念でも利益でも何でもいいが)ために最も有効に使える方法を考える」
 選挙とはそういうものだ、というのが自分の意見である。

 自分も今回の都知事戦の結果は「うわっ」と思ったし、石丸伸二の公約動画を見て「いくら『既存勢力へのカウンターとして利用する』と言ってもこの人はないだろ」と思った(今でも思っている)
 でもそれは自分の状況、背景、属性だからであって、自分と異なる状況、背景、属性を持つ人にとっては考え方はまったく違うだろうということは想像がつく。

「こいつの考えが理解できない」と思っている人間同士が、みんなで選挙に参加することで「民意」というひと固まりになって、常に権力の座にいる人間を監視し、「その座にふさわしいのか」とプレッシャーをかけ続ける。
 それが民主主義というシステムだと自分は思う。
「民意」を誇示し圧力をかけ続けるために、これからもみんなで選挙に行こう。

※他人事のように書いているが、自分も最初聞いた時は「マジか!」と思った。

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