無差別殺傷を起こす、いわゆる「無敵の人」に女性がいない(ように見える)のは何故なのか。

以前、某テレビ番組で「いわゆる『無敵の人』と言われる無差別殺傷事件を起こす人に男性が多いのは何故なのか」という質問が寄せられていた。
類似の事件が起こるたびに、ちらほらそういう疑問を見かける。

「無差別殺傷をする犯人に男性が多い」のは、社会における性役割と規範がかなり関係しているのではないかということを考えたので書きたい。

※どんな要因であれ無差別殺傷は許されないものだという前提で書いています。


男性と女性では、社会で「弱者」の立場に立ったときの状態が違う。

「弱者男性」の話の時に、「同じ『弱者』でも男性と女性では置かれる状態が違うのではないか」という意見を目にしたことがある。

弱者男性の苦しみは「存在を無視されること」であり、弱者女性の苦しみは「存在を(主に性的魅力を基準にして)ネガティブなものとしてジャッジされること」である、という意見だ。

自分はこの意見を読んで、「そうは言っても、女性は性的パートナーを見つけやすいではないか」という一部の男側意見と、その意見に対する「性的対象としてのみしか見られないことがどれほど苦痛かわからないのか」という女性側の意見が、何故、まったく通じ合わないのかがわかった気がした。


男は社会的に弱い立場に立つと「誰からも気にも留められず、存在をまるごと無視される」→だから性的対象のみであろうと何だろうと、存在を認識されること(相手を見つけられること)自体が恵まれている。

女性は社会的に弱い立場に立つと「存在を性的対象としてのみジャッジされる」→だから性的対象としてのみしか見られないことは苦痛である。


「弱い立場」の人を性別で分断する、「クラスター家のジレンマ」

「弱い立場」はどんな状態か、というと「無差別殺傷事件」の犯人の特徴として上げられることが多い「関係性の貧困(孤独)」である。

同じように「弱者=関係性の貧困」に陥った時に、男性は「周囲全ての人から存在を無視される状態」に陥りやすく、女性は「性的基準でのみ存在をジャッジされる状態」に陥りやすい。

二重三重の貧困に陥り、特に「関係性の貧困」に陥った女性が最後に行き着く場所としては風俗が多い、ということは「最貧困女子」にも書かれている。

上記に書いた通り、それを以て「女性は性的にだけでも必要とされるから、男よりはマシ」という意見を見るが、自分はこれを「クラスター家のジレンマ」と呼んでいる。

クラスター家は「ゲーム・オブ・スローンズ」に出てくる、壁の向こう側の極寒の地で一家だけで暮らしている一族だ。
クラスターという一人の男が大勢の女性が従えて暮らしており、女性に子供が生まれて男であれば殺し、女であれば自分の女の一人にする。

クラスターは壁の外の怪物と戦うためにやってきた「冥府の守り人」の中の裏切者に殺され、女性たちは今度は裏切者たちに支配されるようになる。

クラスター家のエピソードは、「強者男性」が支配する社会の構造がわかりやすい。


「自分を理不尽に弱者の立場に追い込んだ(と犯人が思い込む)対象」が性別によって異なるのではないか。

「男女は、同じ場所でルールが違うゲームをやるように言われている。しかもそのルールを、ゲームをやることによって学んでいかなければならない」状態であり、個々人がそれを学んだ上で社会に出ることで、規範(暗黙のルール)として社会の中で機能させる。

そのルールを通して生きていた世界が違うので、そこから生じる辛さも違う。(*個人差はもちろんあり、この個人差は「ルールが明示されているのではなく、ゲームをプレイすることから帰納してルールを覚えなければならないからではないか」と思っているけれど、話が長くなるので割愛)

例えば月経や妊娠出産、力や体力の差など、目に見えるものなら「尊重している」という人が多いと思うが、「こんな俺にも素敵な彼女ができた、と男で言う人は余りいない」のような話だと、前提を男女一緒にして比較する意見を見かける。

「無差別殺傷を起こす人間にになぜ男が多いのか」も、「生きている過程では性差はないはずなのに」という前提があるように思う。前提が同じだから比較できる、と思ってしまうが恐らく違うのではないか。

同じように「弱者=関係性の貧困」に陥った時に、
男性は「周囲全ての人から存在を無視される状態」に陥りやすい。
女性は「性的基準でのみ存在をジャッジされる状態」に陥りやすい。

その状態に陥った原因(と犯人が考えるもの)が攻撃対象になる。

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