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エコーチェンバーとは何なのか&ハマらないために考えたこと。

 エコーチェンバーとは何で、ハマらないためにはどうすればいいか。
 特に専門家ではない自分個人の考えのまとめ。

 エコーチェンバーが起こる要因は「その世界内でしか通用しない概念によって形成された、特有の世界観に閉じ込められること」だと思う。
「同じ意見」だけではなく、「対立する意見であっても、世界観を共有している意見」であればエコーチェンバーを壊すのではなく、むしろ補強する方向に働くのでは、と自分は思っている。

「世界観を共有する」とはどういうことか。

 例えば「増田」という言葉を見た時に、何を思い浮かべるか。
「増田さんって誰よ?」
「『ぞうでん』? 何のこと?」
と思った人は、「株式会社はてなが提供するサービスの世界」にはいない人だ。(世界観を共有していない)

「はてなアノニマスダイアリーのことだろう」とわかる人は、「はてなアノニマスダイアリー」を増田と略称した文章を読んだ時に世界観を共有する。

 人は言葉によって頭の中の概念を区切って、その概念を共有することによって相手と世界観を共有する。
 その共有する概念によって作られた世界に閉じ込められると、エコーチェンバーが起きやすくなる。(閉じ込められると、エコーチェンバーどころかもっと極端なことが起こってもおかしくない。過去にそういう事件がたくさんあった)

「その世界でのみしか通用しない言葉を使わない」のは、エコーチェンバーにハマることを防ぐ有効な方法だ。
「その世界でのみ通用する言葉」とは何か。
「定義を説明できない言葉」と言ってもいい。
「定義を説明できない言葉」は、それを使う時、自分にとって曖昧なもやもやとした概念をその言葉に閉じ込めてあたかも実体があるかのように扱ってしまう。

 60年代70年代の新左翼の各派の対立などを見るとわかりやすいけれど、その世界観を共有していない人間が見ると何を喋っているのかすらわからない。
 その世界に閉じ込められている人間同士がお互いの意見をぶつけ合うことで、主張が強固になっていき対立が尖鋭化していく。

 SNSで、自分と違う意見に接する機会が増えても、政治的な主張はほとんど変わらない。

(上記記事より)

 なので↑の結果を根拠にして「アルゴリズムに危険性はない」と言う主張には「?」と思う。
 アルゴリズムが危険なのは「その課題に強い関心を持ち意見が対立している人同士が世界を形成してしまい、他の世界観を受け入れられなくなる。そしてその問題に関する他の観点がない中で意見をぶつけ合い、対立することで両方の意見がどんどん過激になったり極端になっていく点」だ。

 お互いが自分の都合のいいように概念を詰め込んでいるので、同じことを話しているようで話していない、対立しているようで対立していない。
「鬼畜米英」や「反革命」などと同じで、ただ概念が存在するだけで実体のない(実体からかけ離れた)ものを見ている。
 厳密には「自分という枠組みの中で、ただ感情を募らせているだけで外の世界と交流できていない状態」なのだ。

※アルゴリズムの危険性は、思考が「自分という枠組み」に閉じ込めらるところだ。

 さらに元Twitterなどの短文メディアを使うと、実体ではなく文字情報しかなく思考をなるべく短く簡略化するのでさらに極端になりやすい。

「その界隈でしか通じない言葉によって、限定された世界観を構築して楽しむこと」自体は、趣味の世界ではよくあることで悪いことではない。
 自分も概念が一瞬で共有できる言葉でネットの世界で遊ぶのは大好きだ。
 でもそれを社会問題や思想の問題でやるのは危険が大きいと思う。

 まとめると、エコーチェンバーになるべくハマらないようにする方法としては
①他人に定義を説明できない言葉(特に特定の属性を侮蔑するような言葉)は使わない。自分に都合のいい概念のみを閉じ込めるようになる可能性が高い。
②短文メディアは思考を簡略化、尖鋭化しやすい。それのみを使わない。
③社会や政治、思想の問題(世界)よりも日常の問題に興味がある人と親しくしておく。怪しいなと思ったら、その人に話を聞いてもらうようにする。 
 自分が有効かなと思うものはこれくらいだ。

 これらは「自分が特定の世界観にハマらないために気をつけること」であって、「ハマっている他人を見分ける方法」ではない。

「ハマった人」にはそこに至るまでの経緯があり、それまでの人生の積み重ねによってその地点にいる。意見に対してではなく、その人の思考の根本に言及すれば人生に踏み込むことになる。
 そういうことを踏まえてなお、その人をその思考の枠から引き出したい、何とかしたいと思うなら自分も人生を賭けてやるしかない。

 家族でさえ本気で取り組むとなれば覚悟がいる。

 社会から少しでもそういう現象を失くすために他に何かできることは、と考えると、自分自身を常に風通しよくするように気を付けることで「ある誰かにとってはまったく別の世界観、世界の多様性として存在し続けること」くらいかな、というのが自分の考えだ。


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