「無能(力)な男が相手役の『女攻めの恋愛モノ』はないのか?」→「『Nのために』を見て、成瀬に萌えろよ!」

前に書いた↑の記事に対して「『Nのために』を観ろよ!」とセルフ突っ込みをしてしまった。

なぜ「女向け女攻め・無能(力)な男受け恋愛モノ」で、名作「Nのために」を失念していたのか……orz

「Nのために」は恋愛モノではなくミステリーだから、が大きな理由だが、希美×成瀬の恋愛モノとして注目した場合でも、成瀬の「何もしなさ加減、対希美における無能力ぶり」は分かりにくい。
一見すると「大人しくて優しい、普通の恋愛モノの相手役」に見えるのだ。上記の記事で例として上げた「SIREN」の牧野のような、わかりやすい役立たずぶり(ひどい)ではない。

「Nのために」の相手役・成瀬は、実質的には何の役にも立たない(そもそもストーリー上ほとんどヒロインのそばにいない)「無能な他人・何もしないキャラ」だと考えている。
成瀬というキャラの魅力はそこにある。

成瀬は高校時代からずっと主人公の希美に恋しており、「助けて」と言えない希美が唯一「助けて」と言える相手だ。
成瀬は希美が「助けて」と言えば来てくれる。しかし来てくれるだけで、特に何もしない。成瀬は驚くくらい希美の危機に対して実際的には関与しない(できない)。
成瀬というキャラの特異性は、物語内でも説明されている。
西崎が「杉下(希美)が今にも崩れそうな橋の向こうで、『助けて』と呼んでいたらどうするか?」という質問を、安藤と成瀬にする。
安藤は「何だってする」と答える。
対して成瀬はこう答える。「呼ばれれば渡ると思います」
安藤は「(渡って)何かする」のだが、成瀬は「渡るだけ」なのだ。


というわけで、成瀬が「女攻め恋愛モノ」の恐らく超理想の相手役である「何もしない、ただいるだけ男」でありながら、なぜそうは見えないのか、そうしてそのすべての特性をひっくるめての成瀬というキャラの魅力について語りたい。

*以下ドラマ「Nのために」のネタバレが含まれます。
*現在、「Nのために」を視聴できないため、若干うろ覚えな記憶に基づく内容です。


成瀬の面白いところは、一般的に考えれば普通のそこそこ優秀な男子であるところだ。

人物像として無能なのではなく、「成瀬にとって大切な相手(希美・父親)に対してのみ、突然無能になる」

ドラマを見た限りでは、成瀬にはこういう設定が与えられている。
成瀬が希美に教えた将棋の手が後に希美を追い詰める、ことが象徴的だが、(成瀬は悪くはないが、ストーリーの構成として見ると)害にすらなっている。

希美の苦難や危機に対して何も関与できない、むしろ良かれと思ってやったことが害になる。

成瀬はこういう設定を背負ったキャラなのだ。
要は「希美の足を引っ張るように設定されている」のだ。

ドラマ「Nのために」は様々な暗示的暗喩的要素によって、人物像やストーリーが縛られており、それがこのドラマの最も面白い部分だが、成瀬の設定もそのひとつだ。
何故かヒロインの相手役が、ヒロインの足を引っ張るように設定されている。普通の恋愛モノで言えば、訳がわからない。

しかし女攻めものでは「足を引っ張ること」は萌えにつながる。

危機的な状況で何ひとつ役に立たない、追い詰められたら弱い男でもイザという時はやるだろうと思いきや、いざという時もお荷物になる、女の子がさらわれた時もおろおろしてへっぴり腰、銃で威嚇されて尻もちをついて怯えてしまう牧野が好きなのだ。
キーワードとしては「無力」「役立たず」「おろおろ」「弱腰」「優しい」辺りだ。

前述した通り、牧野は性格的に(つまり全方位的に)役立たずだが、成瀬はヒロイン(希美)に対してのみ、女攻めモノの萌えである「無力」「役立たず」「何もしない」という特性を発揮するのだ。


成瀬にこの設定が付与されているのは、希美に主体を背負わせるためだ、と自分は考えている。
希美は「上に行く、下は見ない」を合言葉にしているように、上昇志向を持ち常に自分で事態を動かそうとする意思の持ち主だ。

「女攻め」とは何なのか、は人によって意見が分かれるかもしれないが、自分は「女性が恋愛(対男)において強気、積極的」という表面上の話ではないのではないかと思っている。

「女性が思考し、選択し、判断し、決断し、物事を動かす」
全ての局面において、女性が主体を背負うということが「女攻め」なのではないか。そしてこの根本が崩れたときに、「最初は女攻めのように見えたのに、結局は女受けで終わる現象」が起きるのではないか、と思う。


「Nのために」は、当て馬の安藤が「普通の正統派(理想の)相手役」であるために「女性受けの恋愛モノ」と「女攻めの恋愛モノ」の違いがわかりやすい。
安藤はヒロイン・希美のそばにいつもいて、言われなくてもその危機を察知し助け守ってくれる正統派の相手役だ。
安藤が希美に寄せる恋心、アプローチの仕方が「女受け」の恋愛であり、よく見られる構図だ。

安藤は常にそばにいてくれる。
言われなくとも、希美の内心を察して何かをしようとしてくれる。
「助けて」と言われたら、「何だってする」と言ってくれる。
そばにいて何でもしてくれて守ってくれる。
存在としてプラスしかない。

一方で成瀬は、希美の言動の意味をことごとく取り違える。しかも確認しようとしない。
「助けて」と言えば来てくれるが、何も出来ない。
明らかに大変な状況(人が二人死んだ後)では、「大丈夫だから」と特に根拠なく言う。
存在としては無かマイナスである。

しかし、「女攻め」ではそれでいいのだ。
何故なら、自分を助け守るのは自分だからだ。
「大丈夫かどうか」を判断し、先のことを選択し、状況を好転させるのは自分自身(女性)の役目だからだ。

状況判断などのその先のことは自分でする。
男には、その場にいて「大丈夫だから」と特に根拠なく言ってもらうだけでいいのだ。(この時の成瀬は、「この状況が大丈夫かどうか」という判断を自分ではしておらず、もしくは自分の判断に逆らって、希美が求める「大丈夫だから」という言葉を口にする。)


この後、希美と成瀬は十年くらい会わない。
物語の設定上「放火事件と殺人事件に絡んで、二人の関係性が疑われないように」という理由はあるが、それにしても凄い。
成瀬は、その状況を打開しようという試みも特にしない。
何もしないからもういいのかと思いきや、呼ばれれば十年経った後でもちゃんと来るのだ。
そして死期が間近な希美のそばに、やっぱりただ一緒にいるだけなのだ。

もし呼ばれなかったら(希美が故郷に帰らなかったら)成瀬はどうするつもりだったのだろう?
何もしないで、一生会わずに終わっていたのではないか、という確信がある。
成瀬が希美を好きな気持ちは、田舎の祖父が孫のことを元気かな、元気だといいなと常に思っている感じに近いと思う。
「自分が相手を想う」 それだけで話が完結している。

そんな成瀬が凄く好きだった。
また、こういうキャラが出てきてくれないかなあ。

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