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【漫画感想】「瓜を破る」 好みのところと気になるところの落差が激しい漫画だった。

 この漫画は、好みのところはとても好みだし、駄目なところはどうしても気になる。
 まとまった感想を言うのが難しいので、この二つの要素を分けて語りたい。

*記事後半は批判的な内容です。

◆まい子と鍵谷の関係が好みすぎる。

 好きなところは、主人公二人とその恋愛だ。
「瓜を破る」はタイトル通り、32歳で経験ナシの主人公・まい子と29歳で経験ナシの男・鍵谷のジレジレ(こういうシチュの時に使うんだなと思った)恋愛がメインだ。
 ちょっと陰がある根暗の陰キャ男(陰三倍増し)が、明るく素直で屈託のない女性を尊いと仰ぐ話が大好きなので、この二人の関係はドストライクだった。
 まい子と鍵谷と二人の関係が好きすぎて、この二人だけをずっと見ていたい。

(引用元:「瓜を破る」 板倉梓 芳文社)

「中学生か」と思うような(作中で本人たちも突っ込んでいる)二人のういういぶりにニヤニヤしっぱなしである。
 付き合う前も付き合ってからもお互い苗字呼びで敬語なところもいい。
 関係性の建前と内実のズレが個人的に滅茶苦茶ツボなのだが、この二人の関係はそのツボを絶妙に突いてくる。

 例えば鍵谷が、今まで自分ですら気付かなかった感情をマイ子にぶちまけるシーンがある。
 小さいころから蓋をし続けてきた本心を打ち明けるのは、大げさに言えば「魂をさらす行為」だ。性行為よりもよっぽど濃密な行為だと思う。(「言の葉の庭」で、タカオがユキノの足のサイズを測るシーンが性行為以上の行為であることに似ている)
 内実は家族よりも近しい存在になったと言っていいが、建前的には付き合うどころか友人ですらない。
 外では建前の関係で接しようとするズレとぎこちなさがいい。

 また二人の恋愛は十代の恋愛っぽいが、いざ付き合ったあとは大人として現実的な問題に向き合わざるえなくなる。一緒になるとしたら二人で生活していけるのか、仕事はどうするのか。
 夢が破れて、世捨て人のように生きていた鍵谷が、マイ子を好きになり付き合うことで生きる活力を取り戻し「今後どうやって生きればいいか」を模索し出す。
 恋愛モノの面白いところは、「なぜ、ディープに相手(他人)と関わるという面倒臭いことをやるのか」という内省にある。
 
自分だけの問題ではないので自己完結という逃げ道もなく、普段は社会性で包み隠している自分の感情や欲望、エゴに嫌でも向き合わざるえない。
 そこが恋愛モノの最も面白い部分だと思う。


◆気になる部分は、「主人公二人の恋愛以外すべて」

「瓜を破る」は群像劇なので、主人公二人以外の人物にも焦点が当たる。
 女性向け創作でよく描かれる「女性の生き方や価値観の問題、女性同士の関係」が様々な登場人物を通して語られる。
 しかし、この問題の立てかたに首を捻ることが多い。
「その問題について自分と意見が違う」のではない。
「そもそもその問題を設定するときの前提がどうなんだ?」と思うのだ。


◆なぜ「元彼と自分」ではなく、「元彼と夫」を比較するのか。

 一番気になったのは、主人公まい子の同僚である子持ちの女性・染井が、元彼が漫画家になり、漫画家の女性と入籍したことにモヤるエピソードだ。
 染井は元彼と夫を比べてモヤモヤするが、夫のいいところを再確認して家族に感謝して終わる。
 そういう話である。 

 自分が不思議だったのは、染井が元彼と「夫を」比べるところだ。
 染井は元々漫画を描いているのだから、「夢を追うか、家庭と仕事を両立するか、どちらの人生を選ぶか」という軸で比較するなら、プロになった元彼と「自分を」比較するはずだ。
 
この話が引っかかるのは、染井が「自分がプロを目指していたら(元彼と自分の比較)」という軸ではなく「他の男に選ばれていたら(元彼と夫の比較)」という軸で自分の人生を考えているところだ。

①今の時代に
②「女性の生き方」というテーマで、
③性別が違う「自分と元彼」は当たり前のように比較対象にはならず
④「どの男に選ばれるか」という軸で、元彼と夫を比べる。
という四つの要素が重なった構図はすごく残念だった。

「瓜を破る」はこの話に限らず、自分にとっては「その価値観はどうなのか」と思う感覚が、当たり前のように前提として設定されている。
 職場で「あの人、処女っぽい」と言うのは普通なのか? 
 昔ならまだしも「職場によるのか?」とも思えるが、今の時代であれば一般的な感覚としてアウトだと思う。

 塚田が言う「化粧が自分の全盛期で止まっている」というセリフやマイ子の「当たり前のレールを歩けば、処女でなくなっているはず」という発想にも違和感がある。
「処女であることを気にすること」ではなく、「当たり前のレール」という概念があることに違和感があるのだ。

(引用元:「瓜を破る」 板倉梓 芳文社)

 自分の感覚だと、この話の前提にある「レールという概念とその内実」は90年代くらいの感覚や価値観だ。

 現代はそのモデルが崩壊している、判りやすい「一般的な指標がない」ところに(昔とは別の)難しさがあるのではないか。
 
そのためかなりあとの巻を読むまで、二十年くらい前に描かれた漫画が復刊したのかと何の疑いもなく思っていた。


◆まとめ:ということも踏まえても、まい子と鍵谷、そして二人の関係が好き。

 処女であることを気にするあまり、突飛な行動をとる主人公のまい子は、自分の中では「現実の女性像」としてはピンとこない。マイ子のような行動をする女性が現実にいたら余りに危なっかしいと思うし、鍵谷の気持ちを考えていなさすぎだ。
 ただ漫画の登場人物として見た場合、そういう「間違い」をしながらも、自分の悩みと向き合って自分自身で何とかしようとするまい子の姿勢はとても好感が持てる。自分の感情や悩みは「自分の範囲のものだ」と認めて、まず自分と向き合うところがいい。
 
天然で優しいふわふわした女性に見えて、芯が強い。こういう女性が滅茶苦茶好きだ。
 
まい子がそういう人だから、鍵谷は、長年まったく出せなかった気持ちを出すことが出来たのだと思う。

 他の登場人物や背景設定は受け入れがたいなと思うものが多いが、二人の恋愛がどうなるかだけは見届けたいと思った。

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