「ネタにマジレスカコワルイw」なら、最後までそれを貫けよ。

この話の続き。
「ネタにマジレスカコワルイ」(古い)って何?と思ったかたは、辞書を引いてみて欲しい。たぶん載っていない。

自分が「0日のほうが良くない?」でイラついているポイントは二点ある。
①「ネタにマジレスカコワルイ」は、「マジレスをネタにするのはカコワルイ」もあって初めて成立する。
②「ネタにマジレスカコワルイ」と言ったなら、最後までその姿勢でいろ。「社会の病理」とか言い出す撤退戦ムーブはダサい。

前回は「社会の中で大人としてそれなりに生きている自分」として、①の視点で話した。
今回は厨二的な②の視点で話したい。

自分の中には倫理観を含めて「社会」というものをコケにしたい、というそれこそひろゆき的な心性が未だに残っている。
「自分がネタを始めたなら自分が詰められる過程までネタにし続けろよ。中途半端に社会に媚びるな」
圧倒的……圧倒的な厨二感である。(©️福本伸行)
普通にちゃんと社会で生きている人から見たら、だいぶしょうもない話だ。

①の視点の時に話したように、この話は「沖縄の基地問題に対する抗議運動への賛否」という具体的な物事以前の問題だと思っているので、そこには触れていない。

前回の記事で書いた
「ミームや言葉で実態をもてあそぶ、究極の机上の空論」
「ネット弁慶やいっちょ神が『はい、論破』の無双を夢見る世界」
自分はこの世界が大好きだ(小声)

その世界だけで通じる抽象的な概念やミームが幅をきかす世界。
その中で誰が一番うまいことを言うか、ただそれだけが価値がある世界。
ちょっとでも変なことを言うと容赦なくこき下ろされる世界。
「現実では大多数の人から嫌がられるけれど、面白いと思ってくれる人がいるちょっと気のきいたこと」→つまり、今回ひろゆきが言った「0日にしたほうが良くない?」的な言動が価値がある世界、そこにしか価値がない世界が好きなのだ。

控えよう控えようと思うのに、ハテブをやってしまうのはそのためだ。

どれほど気のきいたことを言えようと、それがその場で一瞬やんややんや喝采を得ようと、そういうことよりも、そういう人よりも、上手いことは言えなくてもひとつのことに地道に取り組んでいたり、誰が見てなくても真剣にひとつの活動をしていたり、現実で仕事をしたり子育てをしたり「しっかりと生きること」のほうが、ずっと価値があって凄いことなんだとわかっている

ブログやnoteでも

「事実」はえてして、とても地味でつまらなく、コツコツ積み上げても「新たな事実」で簡単に崩れ去る脆いものだ。
だからこそ「個々の事実をそのまま記すことによって事故の検証を試みよう」とするなど、「自分の面白い考察や推論を語るのではなく、本当に事実を知ろうとする人」は凄いと思う。

「わかりやすさ至上主義」「面白さ至上主義」は危ういと書くのは「長い時間をかけて積み上げられた、地味でつまらない事実こそが最も尊重すべきもの」これを忘れたらおしまいだと思っているためだ。

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