「世界観なきエリート・辻政信」のような人間と、その人が招く分断をどうすればいいのか。

8月15日付の読売新聞の書評欄に掲載された、前田啓介著「辻政信の真実」の評(評者・加藤聖文)が面白かった。

辻政信と言えば、書評の中でも言及されている半藤一利の「ノモンハンの夏」を読んだときに、「こんな人間が何故権力を握るに至ったのか」と憤りを感じずにいられなかった。

自分も「ノモンハンの夏」で描かれた「絶対悪」としての辻像しか読んだことがないので、本書も後で読んでみたい。

自分の中で辻政信のような人間の何が問題かと言えば、この評に書かれた「世界観(大局観)なきエリート(*この記事では「頭がよく、ある程度成功した人」くらいの意)という言葉がぴったりだ。

頭は抜群にいい。
ただその見える距離や範囲が圧倒的に狭い。
目の前の物事をどう利用したら、どうなるかは分かる。現時点での自分にとって何が有利かもわかる。
でもその先のことは何も見通さないし、「何十年後かの未来がどういう世界になるのか」ということは、(見えないから)興味もないので、結果的に無責任になる。そもそも自分がそういう広い世界(未来)に関与しているという実感さえない。

「いまここで巧くやる、小手先のことは巧いがその先のことや目の前にあるもの(自分の視野)以外のことは何もわからないから興味がない。結果的に無責任な人間」

自分は現在「炎上」という形で耳目を集めようとする(そして集められる)人は、恐らくこういう「辻政信的、世界観のないエリート」なのではないかと思っている。

いかに「その場でうまくやるか」「目の前の物事から最大限利益を享受することに長けること」に特化した人間で、評で書かれているように軍人に例えれば「戦略なき戦術家」だ。
政治家に例えれば「理念なき選挙屋」というところだろうか。

自分も少し前まではネットで仕組みをハックすることに長けたこういう人間の影響力について心配していたが、過激な発言をする人が長期的には消えていったり耳目を集めなくなっている様相を見ると、「瞬間的には耳目を集めても、長期的にああいうやり方をする人にスペースを与えるほど、人は甘くないし意外と『世の中』は強靭なんだな」と少し安堵している部分がある。


ただこういう人たち自身は長期的に見れば、消えて行くのだろうとは思えるが、その人たちを支持する人とそれ以外の人の分断のほうが問題ではないかと思える。

「こういう人間を支持する人間は愚かで問題がある」という発想にむしろ問題がある、と「新しい世界 世界の賢人16人が語る未来」の中でサンデルが語っていた。

サンデルはトランプと「トランプ支持者」は、分けて考えなければならないと述べている。
トランプが超国家主義や外国人の排斥などを行っているため、トランプ支持者の人たちもそういう人間なんだという眼差しで見ることは間違いなのだと。
トランプ支持者がトランプを「支持せざるえなかった」その怒り自体は、正当なものであり、それを認めないことが中道左派やいわゆるエリートの過ちや傲慢さなのだ。
自分もトランプを支持する人はよく理解できないと思っていたので、これは反省した。
もちろん暴動や差別などまったく賛成できない行動を取る人はいるけれど、それはトランプ支持者に限らないし、トランプを支持する人のすべてがそうであるわけでもない。

自分もトランプや「信者ビジネス」にハマる人を「よく理解できない人」と思い、なぜ「彼らがそういうものにハマるのか」ということは(少なくともその心情は)余り考えたことがなかった。

分断は過激な発言をする政治家や「インフルエンサー」と呼ばれる人々が招くのではなく、「そういう人たちを支持する人は自分には理解できない別種の人間」と思った瞬間に生まれるのではないか、話は逆でそういう「自分には理解できない人」という発想が分断を生み、そこから過激な主張への支持が生まれるのではないか、というサンデルの指摘は耳が痛かったし、おおいに反省した。

「耳目を集めるためだけに過激な主張をする、世界観なき無責任なハッカー」は関わらないのが一番だが、その「主張」の中にしか居場所がない、希望がないと感じる人をどう分断せずに一緒に生きていくか。

今後の課題は、そちらではないかと個人的には思っている。


とりあえずお買い物リストに入れておいた。


こういうのを読むと「自分たちは『支持する人』を選べるだけマシ」という気持ちになるので、結果的に間違えてしまかもしれないとしても「自分で考えて間違えよう」と思う。(自戒)

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