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「フェイクドキュメンタリーQ」が見たい、だが見れない、というジレンマ。

「何が起こっているかよくわからない。なのに怖い。むしろ『何が起こっているかわからないから怖い』」というタイプのホラーが好きである。
 何が起こっているかわからないこと自体が怖いから、何が起こっているか、なぜそれが起こったのかを考えてしまう。
「そこはかなとなく怖い」ことが考えるモチベーションになる、くらいが自分にとってはちょうどいい。

と、長々と書いているのは、「フェイクドキュメンタリーQ」が見たくてたまらないのにどうしても見れないからだ。
 サムネが滅茶苦茶心惹かれる「テイク100」、あらすじを見て面白そうだなと思った「basement」に挑戦してみたけれど、最初の二分くらいでどっちもギブアップした(弱い)

 フェイクドキュメンタリー(モキュメンタリー)は、映像になると段違いに怖い。五感がダイレクトに受け取る情報の錯覚度は、文章の比じゃない。
 頭では「作り話だ」とわかっていても、感覚が引きずり込まれてしまう。要は怖い(こればっかりだな)

 この記事のサムネは「テイク100」の画像なのだが、一見すると不思議なところも怖いところもない、どうということのない画だ。
 だが、自分はこの画像が無茶苦茶怖い。
 見るたびに怖い。

 何故なのか。

 一番は、画像の中の男性と女性の行動が自分にとってとても不自然だからだ。
 奥の部屋で横になっている人(?)が心配なのであれば、奥の部屋で付き添っているはずだ。
 逆にどうでもいいなら、二人そろって奥の部屋を注視するのはおかしい。
 目の前のお互いよりも奥の部屋のほうが気になる。しかもここまであからさまに目の前の相手よりも別のものに注意を向けることは、なかなかない。
 それほど奥の部屋が気になるのに、二人はなぜか奥の部屋には行かない。
 また二人の感じが二人で話している合間に「ふと気になった」という感じではない。どこか緊張感が漂っている。(二人とも正座している)
「目を離すことができないから見張っている」
 そんな雰囲気が伝わってくる。

 近くにいて心配するわけではなく、少し離れた場所からずっと見張らざるえない。
 その場で見ていられるということは明確な脅威を感じているわけではないのだろうが、だとすれば二人は、なぜそんなことをしなければいけないのか自分でもよくわかっていないことになる。つまり「見張らなければならない」と思っているわけではなく、二人は本人たちも訳がわからず「見張らされている」(見張らざるえない心境にさせられているのか、誰かに言われたのか)
 ではこの条件に合致する状況や、奥に横になっているものは何なのか。
 奥の部屋に横たわるものは一見、布に覆われて寝ている人のように見える。だが、よく見ると何かよくわからない。
 そこにあるものが何かわからないから、試しに見張っていなければどうなるのか、逆に奥の部屋に入ったら(近づいたら)どうなるのかもわからない。
 画面の中の二人も、画面を見ている自分と同じようにわからないから、この画像の状態になっているのではないか。

 サムネ画像は、一見自分も経験しそうな日常のよくある光景のように見えて、異常な光景である。
 この画の二人は、異常な状況に置かれているのだ。
 
そういうことが感覚として伝わってくるから、見るたびにゾクゾクしてしまう。

「テイク100」は余りに気になって(でも見れなくて)先に動画の感想欄や考察を読んでしまった。
 動画の感想欄にあった「同じシーンを繰り返し撮影することにより、映像にいる怪異をフィルムの外に出そうとしてる」というコメントが無茶苦茶良かった。

 こういう風に「恐さとは何か」を書いているうちにだんだん怖くなくなってきて見れるんじゃないかと期待したが……そんなことはなかった。
 怖いよお。


※今までに書いた考察型ホラー。ホラーが好きな人に読んで欲しい。


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