「『月曜日のたわわ』を人々はどう見るか」のアンケートに勝手に答えてみて、その結果から考えたこと。

調査時点は2022年4月14日、調査会社はサーベロイド社で、ウエブモニター調査である。対象者は20歳~59歳までの男女で、年齢と性別で均等割り付けを行った。きちんと設問文を読んで答えているかのチェック設問をおき、これを通過した3154人がサンプルである。

(上記記事より)

上記の条件で、日経新聞に掲載された「月曜日のたわわ」の広告に問題があるかどうかのアンケートが行われていたので、勝手に答えてみた。

記事の冒頭「はじめに」で結論は述べられているが、

最初に結論を述べておくと、この広告に問題ありとしたのは女性の3割強である。5割程度の人は容認しており、容認する人の方が多い。年齢別にみると若年層ほど容認的であり、20代の女性で広告に問題ありとする人は40代以上の人の半分程度にとどまる。若年層が容認的とすると、時間の経過とともに容認する人がしだいに増えていくという予想が成り立つ。また、今回の事件に限らず、一般的な傾向として言論・表現の自由を重視する人が容認的で、一般的傾向として正義を重視する人が問題ありと考えている。

(上記記事より/太字は引用者)

こうなっている。
特に女性の割合について言及しているのは「広告への批判は女性の視点からなされている。したがってこの問題では女性の見解が大切であり」という主旨が述べられており、各設問でも回答の中の女性の割合について取り上げられている。

ということで、アンケートに答えながら、アンケートの結果について感じたことを書きたい。

Q1 下の絵は4月のある月曜、日経新聞の1面を全面をつかった広告として出たものです。「月曜日のたわわ」という漫画の登場キャラが「今週も素敵な1週間になりますように」と述べています。左下をみるとこの漫画の宣伝でもあることがわかります。あなたが新聞でこの広告を見たとして、なにかまずい問題を感じるでしょうか。感じないでしょうか。

1 問題を感じる 2 問題を感じない
<広告を掲示>

(上記記事より)

回答:「2問題を感じない」。
この設問は「まずい問題」の「まずい」という言葉が引っかかったのだが、その意図も

「まずい」という形容をつけたのは、否定的な意味での問題であることを回答者に伝えるためである。

(上記記事より)

と説明されている。なるほど。

この設問で一番驚いたのは「事件(たわわ問題)」を知っている人が636人(21.5%)だったことだ。
SNSではあれほど盛り上がっているように見えても、「知っている人」でこれくらいなのか。意見を発信している人、さらに議論に参加している人となったらどの程度になるのだろう。

Q2 日経新聞に載ったこの広告については、女子高生を性的に扱っており問題だという意見と、この程度なら表現の自由の範囲で問題ないという意見が対立しています。これについて以下でいくつか意見を述べます。これらの意見に対しあなたはどう思いますか? そう思うか、思わないかをお答えください。どちらでもない、あるいは分からない場合は、わからないを選んでください。
1)男性目線のいやらしさを感じる
2)新聞の広告としては止めるべきであった
3)全体として女子高生を性的に扱っており問題だと思う
4)はっきり言って不快である
5)性的な要素はあるとしてもこの程度なら問題ないと思う
6)女の子がかわいくて素敵な絵だと思う
7)全体としてこの程度なら表現の自由の範囲で問題ないと思う
回答選択枝
1そう思う 2やや思う 3あまり思わない 4思わない
5わからない/どちらでもない

(上記記事より)

1)男性目線のいやらしさを感じる。→2:やや思う
のっけから悩んだ。
自分が感じたのは「いやらしさ」ではなく「都合の良さ」なので、「いやらしさ」とは正確には違う。
「いやらしいとは思わないけれど、『男にとって都合がよいように描かれている』と感じることも『性的』の枠組みに入るのかな?」と考え、回答は「2:やや思う」

2)新聞の広告としては止めるべきであった。→4:思わない
「新聞」の定義が難しい。スポーツ新聞なら問題ないと思うし、日経は購読していないから関係ない。
「一般紙に載せるのは問題か?」という質問なら、うーん問題だ、というほど何も感じない。強いて感じることを言葉にしたらどうなるか、と問われれば「媒体側の自由で自分がとやかく言うことではない」というのが一番近い。

3)全体として女子高生を性的に扱っていて問題だと思う。→4:思わない
1)の設問に関連してだが、「性的に」の定義が問題になる。「男にとって都合がいい存在として描いている(男の目線によってのみ、キャラクターが構成されている。要は接待キャラ)」という意味では「性的」と言えば性的だが、そこまで広義の「性的」だとそもそも「性的ではないキャラ」はいるのか? という疑問が浮かぶ。
なので「一般的な意味合いで、この一枚絵がいやらしいか」という意味で考えると「いやらしくない、問題もない」という答えになる。

4)はっきり言って不快である。→1:そう思う。
この広告を見たときから、実は凄く不快だった。
この広告で描かれている「アイちゃん」というキャラがどういう「設定」かは、1巻の中で書かれている。

大きな目の整った容貌。
保護欲をそそる小柄な体。
おしゃれに結わえた艶やかな髪。
一点の曇りもない白い肌。
素材の良さへの自負がうかがえるナチュラルメイク。(略)
そして何よりいけないと思いつつも、誰もが一度は目を奪われるたわわに実った胸のふくらみが少女らしく華奢な体をアンバランスに飾り立てる。
男好きする「設定」が、制服を着て歩いているような少女。

(「月曜日のたわわ」1巻 比村奇石 講談社/太字は引用者)

上記のように設定されたキャラなのだろうということが、一枚の絵を見ただけで正確に伝わってくる。(漫画家の描写力としては普通のことなのだろうが)
恐らく作者が施した「設定」を絵から読み取れるがゆえに、これほど不快を表明する女性が多かったのだろうと思っている。

自分が強く不快を感じたのは「胸が大きい」という見た目云々よりも、それを「男好きがする設定が制服を着て歩いている」と評価してはばからないその心性だ。「男が女性をそう言語化して評価していい」ということに対する無邪気さ?に強い不快感を覚えた。

「女性向けの創作にも女性にとってのみ都合のいいキャラは登場するがそれはどうなのか」と言われれば、

①「男が評価する側である」ということ自体が、従来の社会規範をなぞっている。
②「もしこの独白が『男の夢が~』などだったら、それほど不快には感じなかった。『設定』という言葉が物扱いのように感じる。

この二つが大きい。

ただ不快には感じたが「それを一枚絵から何故読み取れるのか」(前述したように、作者がそう設定していてそれを絵から読み取れないのであれば、逆に漫画家として描写力がどうなのか? という話になるが、漫画を読んでいない時点ではその不快感に根拠はないのでは、と言われれば、そうだなとは思う)ということと、「創作の中で登場人物が内心の声で言っているだけ」なので、自分の中ではセーフ(何が)である。

「月曜日のたわわ」1巻を読んで不快を感じたのは、この部分だけだ。
男向けチョイエロ漫画にしては、そして↑のような独白が出てくるにしては、比較的女性(キャラ)にも気を遣っている話だと感じた。その点は好印象すらある。(そういう趣味なだけかもしれないけれど)

5)性的な要素はあるとしてもこの程度なら問題ないと思う。→1:そう思う。

6)女の子がかわいくて素敵な絵だと思う。→5:わからない、どちらでもない。
漫画を読むと可愛いなと思うコマもあるけれど、一枚絵だけだと普通の絵だなという印象。

7)全体としてこの程度なら表現の自由の範囲で問題ないと思う→1:そう思う。

というわけで、最終的には「特に問題なし。掲載メディアが判断すればいいのでは」になる。


アンケート結果を見て感じたのは、「4)はっきり言って不快である」にそう思うと答えた人が、全体では14.7%、女性のみでも23.5%しかいない。
意外と少ないんだな、と思った。

色々な意見を見て思ったが、
「広告はとても不快に感じるが、掲載には問題ない。広告の不快さを前提に漫画を読んだら、意外と不快ではなかった(面白かった)」
という自分と似た感覚の人はほぼいないようだ。


年齢では女性だと年齢が上がるにつれて、批判的な傾向が強くなっている。
この中で目を引いたのは、世代別の男女の意識の乖離だ。
十代だと男女のパーセンテージの差は9%だが、40代は22%、50代は19%だ。
この男女差は何の差かと考えると、広告否定派から聞く「たわわのような漫画を読んで、男の中で性加害欲が高まるか否か」ということ、つまり「女性(という属性)から男(という属性)への信頼感」もっと言うと「男女という属性の信頼関係の差」ではないかと自分は思った。
今まさにこの広告について論争している層が、そのまま重なっているように見えるところに興味を惹かれた。(議論は本来相手への信頼がないと成り立たないが、ネットの場合はお互いに不信を持っている場合に議論?が発生しやすいという捻じれがありそうだ、と感じた。)

今の40代は二十歳前後の時にパソコンが出てきた、それまで好調だった景気が自分たちが社会に出るときにドン底に落ち込んでいた、それまでは「子供のもの」と大人が思っていた漫画やアニメ、ゲームを大人になっても楽しむことがそれほど特異なことではなくなった。
それまで何となくすみわけが出来ていた「男向け」「女向け」が融解したり、お互いをよく知らない属性同士の言動が見えたり、「未知との遭遇」をしたときのデータがまだなかった世代だった、それゆえにネット上でむき出しのままぶつかり合う。

もしかしたら後の世代から見ると、特殊な世代として認識されるかもな、とこれを見て思った。

「その他決定要因1:個人属性」では、
①イラスト漫画を趣味やセミプロとして描いている、「クリエーター」ほど否定的である
②女子中学生、高校生の娘がいることはそれほど結果に影響を与えない。

の二つが興味深かった。

①がさらに興味深かったのは、この項目では「女性のみ」よりも「全体」のほうが否定的になる率が高かったところだ。
つまりクリエーターとして活動している場合は、男であっても掲載に否定的な傾向が強まるということだ。

意外なことに、10%を超える大幅なプラスであり、クリエイターはこの広告に問題ありとしている。クリエイターが表現の自由を重視するなら、広告表現にも自由を求めてもよさそうなものである。しかし、まったくの逆であり、月曜日たわわの広告は問題だとする人が一般の人よりずっと多い。これはなぜだろうか。

(上記記事より/太字は引用者)

自分はこの広告は性的にドストライクの層も、日常で唐突に(自分がそういうものをみたい気持ちではない時に)見せられたら不快になるのではないかと思ったが、方向性としては同じかもしれない。
クリエイターほど、本編に記載されている『設定』を読み取ってまい、「自分たちの描くものは、出す場所を選ぶものだ」という内部規制の感覚が強く働くのかなと推測した。
これは記事内でも言及している通り、誰かに聞いてみたい。


女子中学生、高校生を持つ親は、常日頃から子供が性被害にあわないように気をつけているはずで、痴漢のニュースには最も反応してしかるべき人たちである。彼らが特に反応していないということは、この広告から性被害を連想することはそれほど一般的ではないことを示唆する。もし一般的に連想するのならもっとも反応すべき人たちが反応していないからである。

(上記記事より/太字は引用者)

これについては少し考えたのだが、「女子中学生、高校生の子供を持つ親」が、もしこの絵を「自分の娘と同じ女子高生がただ立っているだけの絵」と認識しているのであれば、それを否定することは自分の娘と同じ存在(属性)を否定されるように感じるのではないのか?
この絵が未成年の女性であると言う属性を持って、女子高生の痴漢被害を連想させるというのであれば、この絵が女子高生であるということを以て、自分の女子高生の娘を連想する人がいてもおかしくないと思う。
創作はイメージだからだ。

創作は日常言語と違ってイメージで成り立つので、「女性キャラに、男が自分の女性的な部分を重ね合わせて自己投影する」ということも十分有り得る。(というより、よくある話だ)

最後に、11)では言論・表現の自由と正義の対立をとりあげた。
言論・表現の自由vs(何らかの)正義の対立は、昔からある古典的な対立軸である。
言論・表現の自由は、自由で民主主義的社会にとっては大事にされなければならない。しかし、その社会にとって重要な価値すなわち正義に反する時は、言論・表現が制限されてもしかたがないという考え方もある。この対立は、ヘイトスピーチをスピーチとして認めるか、などの形で古くから形を変えて議論されてきた問題であり、近年話題のキャンセルカルチャーもこの対立の一種とみなせる。

(上記記事より)

「言論・表現の自由」と「(この社会の)正義」の対立については、考えさせられた。
自分は創作については、「言論・表現の自由」は相当程度認めるべきだと思っている。
「(この社会の)正義」に対する異質なものが存在することが許される場所、ゆえに後世において社会に対するむき出しの批判として存在することが可能な個人的な領域が創作だからだ。
「社会の正義」が間違っていたことなど今までいくらでもあった。だからその中で「社会の中で生きながら、その社会の規範(正しさ)から外れた場所で個人が何を考えていたか」は凄く重要だと思うのだ。

ただ「では創作以外の場所では?」となると、項目によっては「表現の自由」よりも「この社会の正しさ」を重んじている場合もある。

1どのような下劣な意見でも持つのは自由でありまた発言も出来る社会であるべきだ

これは「持つのは自由」だが「発言」については無条件に「そう思う」とは言えない。例えば個人に対する誹謗中傷などは、規制されるべきだと思う。

6天皇を侮辱する表現は規制されるべきだ

皇室は現在は、そうとう程度個人として守られるべきだと思う。

7テレビの放送禁止用語は表現の自由を奪っており嘆かわしい

これもやはり無条件に全て良しとは思わない。

「自由」と「平等」は成り立たないとどこかで読んだが、どちらをどれくらいの配分で重視するかを自分なりに考えていくしかない。


アンケートの内容自体は「月曜日のたわわ」についてだが、
「年代によって性別の分断の具合が違うのではないか」
「『クリエイターだから表現の自由を重視する』『女子中高生の子供からいるから、より広告に危機を感じる』かというとそうでもない」(イメージと内実は違う)
「表現の自由と今の社会の正しさにおける、自分の中のバランスはどうなのか」
など色々と考えさせられた。

特に「たわわ問題」に興味がない人でも、アンケートに答えて見ると自分の考えが整理しやすいかもしれない。

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