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「グノーシア」の感想

 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。
 また、視界が狭い人間なので、色々とご指摘いただければ幸いです。




前提

  • ストーリーは最後までプレイ済み。

  • 正体隠匿系ゲームはそれほどプレイしていない。
    (苦手というよりはプレイ機会がないため)

  • Switch版でプレイ。

  • ネタバレを避けるため、ストーリーへの言及は最小限に留め、ゲームシステムへの言及がメイン。



感想

デジタル人狼シミュレーションゲーム

 デジタルで行う、人狼のシミュレーションゲームとでも言えるような、個性的なゲームだ。

 ゲームの進行と共に変わっていく部分もあるのだが、基本的にはそれほど時間がかからない(20分程度?)人狼ゲームを何度も行っていく形になっていく。それぞれのゲームは基本的に孤立しており、(詳細は後程説明するが)主人公のステータスや実績という部分以外は繋がりがない。

 特徴的なのは、「Among Us」のように人狼っぽいゲーム、つまり、正体隠匿系ゲーム、というわけではなく、基本的にはまさに人狼そのもの(舞台設定がSFなので、役職名などは異なる)をシミュレーションしている、という点だ。これで1人用ゲームというところがすごい。

 基本的には会話を行っていき、その中のやり取りによって、各キャラクターの投票先が決まり、吊るされるキャラクターが決まり、というような人狼ゲームと同じ流れで進んでいく。

 ゲームの途中で特定の条件を満たせば、イベントが発生することもあり、それは単にアドベンチャーゲームのイベントのような形で会話劇を楽しむような形となる。

 これを繰り返していき、特定の条件を満たすことで、一応、ゲーム全体のエンディングのようなものは存在する。ただ、人狼ゲームを楽しむこと自体は、それ以降も行うことができる。



1人用ゲームであることと、他者の存在

 最初にゲームのコンセプトを聞いた時に、これを1人用のゲームとしてプレイする体験は面白いのだろうか、と思ったが、実際にプレイしてみると、人狼ゲームほど、1人でプレイするのに向いているゲームもないのではないか、とも思えるほどだった。


 「人狼」の問題点として、よく『脱落したプレイヤーがゲームに参加できなくなる』というものが挙げられるが、1人用であるから、他のプレイヤーの脱落を気にする必要はない。自身が吊るされたり、喰われたりした場合にもゲームがすぐに終了するので、次に進める。

 また、多くのバリエーションルールやプレイヤー人数の問題も、1人用であれば簡単に解決できる。自分がプレイしたい状態にセッティングして、それを遊ぶことができるのだ。自身の役割も設定できるので、人狼がやりたかったのに村人しかできない、というようなミスマッチングもない。

 かなり快適に、人狼ゲームをシミュレーションできる。


 ただ、他者がいないのであれば、本質的に、人狼ゲームである意味がないという考えも想定できる。

 つまり、ここで問題になるのは、「人狼」における『他プレイヤー』とはいかなる存在であるのか、という問いだろう。


 第一には、『現実の人間である』というものだろう。これは現実世界におけるやり取り(それ自体がネットなどを介していてもそれは現実ではある)をしているような人々であり、それらとプレイしている、と言う所に『他プレイヤー』の意味を見出している、という形だ。

 この場合、当然ながら本作における『他プレイヤー』は条件に合っていない、意味がない、と考えられるだろう。オンラインチャットなどで「人狼」を行った方がよい、ということになる。

 この立場を取るのであれば、『他プレイヤー』にコミュニケーションを見出していると考えられる。


 第二には、『ある一定の法則を持つ入出力である』というものだろう。これは単に一定の入力に対し、一定の出力を出すブラックボックスのゲームの装置であると見なす形になる。

 詳細は以下の記事などに譲るが、ゲーム数理的に考えられるランダム性とインタラクションの差は、ランダム性は確率的に明示できる処理であるのに対し、インタラクションはそれ自体の処理系が秘匿されていて、数値化できない、という点が異なる。(両者ともに不確定ではあるが、明示的であるかどうかが、広く見た場合のゲーム処理における最大の差だと考えられる)

 仮に『他プレイヤー』が何らかの方法でランダム性に基づいてプレイしていたとしても、それが判明(確定)することはない。その点がランダム性とは異なり、この部分に『他プレイヤー』のゲーム内の意義がある、と考えることができる。

 そうなると、本作はこの条件を満たしている。(少し余談だが、これはデジタルゲームがその処理を隠匿できる、という特徴がある点も大きい)

 詳細は、開発者たちによるインタビューが存在するので、そちらに譲るが各キャラクターたちは一定の法則に基づいて、行動を決定しているらしい。それぞれのキャラクターにはステータスや癖が設定されており、それはイベントなどでも垣間見ることができる。それによって、相手の処理系をある程度推測でき、それがゲームの一部として機能する。完全なランダマイザではないし、逆に言動が完全に制御できるものでもない。これは(もちろん、いささか単調化されているとは言え)ゲーム数理的に考えれば、『他プレイヤー』が存在しているのと同じだ。

 つまり、『他プレイヤー』が問題の一部である、とする立場を取るのであれば、本作は十分に『他プレイヤー』と遊んでいる、と見なすことができ、1人用の人狼ゲームシミュレーションとして成立していると考えられる。



ステータスと実績

 その小ゲームをずっとプレイしていくことになるのだが、その各ゲームを繋げるのが、次第に解放されていく要素やキャラクター、自身のステータス強化とイベント解除実績になる。

 序盤は、要素やキャラクターが順序良く解放されていくことにより、混乱せずに本ゲーム(人狼ゲーム)のルールや役職を学ぶことができるし、各キャラクターに対しても、愛着がわく時間を用意してくれている。

 ステータスには『カリスマ』『ステルス』などの項目があり、これらが強くなっていくことにより、(実体がどうなっているのかプレイヤーにはわからないが)状況をプレイヤーがコントロールできる可能性が、おそらくだが上がっている。

 そして、それによって、特殊な条件を満たすことで、イベントを見ることができるようになっていく。これはキャラクターに対する理解を深めるものであると同時に、メインのストーリーを理解するためのものとなっており、このゲームの縦軸を構成するものとなっている。

 これらの実装や繋がりはシンプルながらスマートで無駄がない。



終わりのないゲームとエンディング

 クリアが存在するゲームだ。1人用ゲームとして、そのような需要は一定以上存在すると思われるし、実際に良いものであり、個人的な評価もこれによって高まった印象がある。

 一方で、それに至るための体験があまり良くなかった。

 最初の方は、上述したような目新しさもあり、楽しくプレイできていたのだが、当然ながら、次第に飽きが来る。しかし、エンディングの条件を満たすために、何度かプレイしなければならず、本作の後半は『各ゲームを楽しむ』という向きより、『エンディングを見るための作業』という向きが強くなってしまった。

 (これは仕方のない部分もあると思うが)条件は難しいものも多く、それを満たすためには、なかなか骨の折れることをしなければならない。上述しているように、各ゲームは人狼ゲームであって、当然、プレイヤーが思う通りにゲームが進むとは限らない。このために、何度も繰り返しながら、特定の条件を満たすための作業を行う、という印象が強くなる。

 これには個人差があるとは思うが、筆者としてはもう少し早くエンディングを迎えた方が楽しめたような気がする。とは言え、調整が難しそうな部分ではあるし、多少の苦労があるからこそ、エンディングに重みが感じられる側面があるのも事実だ。

 本作のように(ある程度伝統的な)アナログゲームをデジタル化することで、新しい価値を提供できる、という領域は可能性があるように感じられるし、今後もそのような向きのゲームが出てくる可能性は一定以上あると考えている。その時、エンディングは提供されるのか、提供されるとするのならば、どのような方式なのか、という点にも着目したい。


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