見出し画像

「PRIDE35→RIZIN35」から見えた進化するジャパニーズMMA

この記事はRIZIN大阪大会を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)


RIZIN34のオープニングVは、PRIDE最後の興行となったPRIDE34のそれと使用曲(Do you remember rock 'n' roll radio)と構成が一緒でした。PRIDEの名場面がフラッシュバックしていったように、これまでのRIZINの記憶に残るシーンが流れていく。佐藤大輔さんのセルフ・オマージュですけど、これはPRIDEを知らない人でも、ものすごく楽しめる映像ですよね。やっぱりRIZINの名場面が一気に詰まってるわけですから。

ここでピックアップされた選手はものすごく栄誉なことなんですけど、堀口恭司がベラトールに旅立ち、那須川天心がRIZINを卒業したタイミングで、こういう映像を出せたっていうのは天の采配というか。やっぱりRIZINの土台を築き上げたのは天心、堀口、RENAの3人ですから。そのあとで朝倉兄弟が人気に火をつけたんですけど、初期のRIZINを引っ張ってきた堀口恭司と那須川天心の2人が去ったところでPRIDEのナンバーシリーズ超えを果たしたのはドラマとしてよくできている。一区切り付いたなっていう感じですね。

そして今回のRIZINのメモリアル映像を、この先どんなふうに振り返ることできるのかが楽しみでもあり……そして怖さもあります。10年20年経って「、あれから、まさかRIZINがこうなるとは……」と。PRIDE34に関していえば、あの時点では明るい未来の予感があったんです。フジテレビの契約が打ち切りとなって進退窮まったPRIDEが当時のUFCオーナー、ロレンゾ・フェティータに譲渡され、榊原体制最後の興行がPRIDE34だった。これからは新生PRIDEとしてUFCと共に歩むんだ……という区切りの大会になるはずだったんです。

あのPRIDE34も裏側ではいろいろあって。

ここから先は

5,348字
この記事のみ ¥ 300
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?