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水素ステーション

俺は行ったことのない都道府県の方が多いが、このだだっ広い空き地から見える景色のつまらなさは日本屈指だと確信している。観光スポットとして名高い駅周辺や海岸沿いを除けば、神奈川県の70% 近くが、文明も自然の恵みもどちらもない灰色の虚無だといえるだろう。

歩くにはしんどい間隔で点在する飲食店の広大な駐車場にはゲートバーや駐車料金に関する表示はなく、この辺りでは「駐車券」の概念がないようだった。そんな場所だからこそ、こんなふうに25tトラックを贅沢に駐車できるのだろう。

俺はかつてコンビニの深夜スタッフをやっていたが、あのとき以上の暇な時間をここで過ごさなければならない。

客の絶対数が少な過ぎるのだ。

この燃料会社のロゴが入った巨大トラックが空き地に駐車していたところで、

「おっ、ここ水素入れられるの?」

そんな一見さんはありえない。水素自動車に水素を入れに行くということは、1円でも安いガソリンスタンドを探し回るのとは訳が違う。
県内に数カ所しかない水素ステーションをはるばると目指すのだ。
さらにはこのトラックのような移動式の水素ステーションに関してはわずか二時間しかそこに存在しないことも把握しておかなければならない。

雨粒の打ちつけるガラスごしにビニール傘がこちらに向かってくるのが見えた。家庭用に販売されている唯一の水素車を除くすべての車が招かれざる客だというのに、こともあろうに記念すべき最初の客は「徒歩」だった。

俺は雨粒が入ってくることを覚悟して渋々と窓を開けた。

「なんですか?」

傘の持ち主はいかにもここらに生息してそうな爺さんだったから、なるべく聞こえやすいように大きな声で言った。爺さんは険しい表情でこちらを見上げると何も言わずに手を少し挙げ反転した。雨の打ちつける殺風景な世界を目的もなく歩く徘徊のスペシャリストだった。

とにかく、俺は、トヨタのMIRAIとやらをまだ一回も見たことがない。

あいつじゃないよな?

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