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お供物だと思えば

会社のデスクに、かつては群れの中にいたであろう個包装のお菓子が、ぽつんと置かれていることがある。社員や下請けの業者からもらった土産から各自に分け与えられたものである。

たまに、その究極となりえるであろうものが置いてある。
それは、お弁当の中で他と交わることを恐れられた一品が個別で入れられる小さな紙の容器に入った、何かが混ざったご飯をラップで包んだものだった。

初めてそれが置かれていたときの事は覚えていないが、おそらくそれを見て不思議そうにしていた私に、誰かが、それを誰からの何なのかと教えてくれたことだったと思う。

とにかく、私はそのラップを外す事はなかった。
それは単に「好き嫌い」というだけの事かもしれない。
それが「チョコブラウニー」だったら食べたかもしれないからだ。
実親の炊き立てでも遠慮する類の食べ物が、1日3食のうちのどれにも当てはまらない時間に、コストコの試食程度の量で包まれて無造作にデスクに置いてあろうものなら、それを食べようと思う理由はない。

いや、むしろそれは、最終的には食べていいものか確認をしたことはない。
もしかすると食べたとたんに

「おいおい!何食べてるんだよ!」

と笑われるようなことかもしれないが、ここは "炊き込みごはん落とし" のような特殊な風習があるような僻地ではない。

確かな事は、これが週に3日程度、事務所内の清掃をしてくれている高齢の女性からの贈り物だという事はわかっている。
この人のおかげで、我々は「トイレ清掃」をやらなくて済んでおり、健やかな暮らしのための「生贄」の一つを引き受けてくれている恩人である。

だから私は、誠意を持ってそれを処分することを考えた。
ゴミ箱に入れる事だけはありえないから、とりあえず、ポケットに入れた。
無事に帰宅後に洗濯することなく、車内でそれを取り出すと、まるで飼っていた魚類を放流するかのようにゴミ袋に丁寧に入れた。

「ありがとうございます」

と両手を合わせた。

それはお供物だったのだろうか。

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