日本の戦後教育①

1.いんとろだくしょん

 2018年8月15日は、73回目の終戦記念日です。
 
私はこの事実を、ニュースで聞いた時にはじめて、「あぁ、そうなのか、そういえばそうだったけ」と思い出すのです。その日になっても、自然に思い出すことがないのです――ちなみに私は家族や友人の誕生日も一切記憶しないようなタイプの人間です――。私の高校時代の地歴教科の選択は地理でしたので、歴史に疎いのは、ある程度は仕方ないのかもしれません。が、戦前戦後史についての無知蒙昧さが、「ある程度」の範疇を越えているのです。自分の生まれ育った国の歴史くらいは、ちゃんと知っておかないといけないという意識はあっても、行動には移さないのです。まさに自分の国の歴史・伝統・文化について無関心である証拠です。また、とりわけ、戦前戦後史は、触れないほうがよい黒歴史であるかのように感じるのです。 

 ――1年と半年前、私は日本の歴史や伝統について学ぶゼミナールに参加しました。参加した理由は、大学で2つの講演会を聞いたからです。1つは、台湾と日本との関係についての講演会、もう1つは、日本のアジアにおける歴史的立場についての講演会です。それらの講演会を聞いて、私は日本について本当に何も知らないという危機感を抱いたのです。その危機感を払拭するため、日本についてより詳しく知りたいと思ったのです。
 ゼミナール参加者の皆さんは、私のような好奇心で何となく参加した者とは違い、日々仲間と研鑽し合い日本の未来について真剣に考えている、教育者を目指している人たちでした。その中には、2つの講演会を主催した人たちも含まれています。
 ゼミナールでの思い出もそのうち書きたいのですが、まずはゼミナールで学んだことを書いておこうと思います。ただ、ゼミナールに参加した後、私は学んだことの真偽を、自分自身で確認してはいませんでした。そのため、私が参加したゼミナールで学んだことを、自分の言葉でアウトプットするのは、これが初めてのことになります。そういうわけで、今回の内容は、ゼミナールで貰った資料の写経をしながら、私自身の拙い言葉によって説明したものとなります――。

2.戦中の背景概略

 まず戦前・戦中・戦後というけれども、そもそも、何処の国と何処の国との戦争だったのか。一方の国は日本、もう一方の国はアメリカである。「戦」とは、この2国間の戦争、太平洋戦争(1941年~1945年)である。
 より正確に言えば、枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)と連合国(イギリス、アメリカなど)との戦争、第二次世界大戦(1939年~1945年)である。太平洋戦争(大東亜戦争)は、第二次世界大戦の一局面である。

 1941年8月:大西洋憲章(連合国の戦後処理構想の宣言)
 1941年12月:真珠湾攻撃、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦、日本(枢軸国)が香港を制圧
 1942年1月:日本がマニラ(フィリピン)、クアラルンプール(マレーシア)を占領
 1942年2月:日本がシンガポール、パレンバン油田(インドネシア・スマトラ島)を占領
 1942年5月:日本がビルマ(現ミャンマー)を占領
 1942年7月:日本がフィリピン全土を占領
 1943年1月:カサブランカ会談(連合国の戦後処理構想の形成過程での英米首脳会談)
 1943年9月:イタリア(枢軸国)降伏
 1943年11月:大東亜会議(日本主催、世界初のアジアサミット)、大東亜共同宣言、カイロ会談(連合国の戦後処理構想の形成過程での英国・米国・中国国民党の首脳会談)
 1945年2月:ヤルタ会談(連合国の戦後処理構想の形成過程での英国・米国・ソ連の首脳会談)
 1945年5月、ドイツ(枢軸国)降伏
 1945年7月、ポツダム宣言(日本に対する無条件降伏を勧告する宣言)
 1945年8月6日、広島に原爆投下
 1945年8月9日、長崎に原爆投下
 1945年8月15日、玉音放送、日本降伏

※歴史に疎いため、上記年表には、これを外すとはけしからん!!という記述漏れがあると思います。記述漏れについてはガンガン指摘をお願いします。

2.連合国側の戦後処理構想

・カサブランカ会談で、枢軸国に対して無条件降伏を求めることを決定
:無条件降伏とは、降伏した側は何をされても文句は言えないということ。極端な話、国民皆殺しを命じられたとしても、それを受け入れなくてはならない。この要求が、ドイツや日本の徹底抗戦に繋がったという見方もある。

・カイロ会談で、日本の植民地解放、無条件降伏後の日本に対する処理を決定
:翌12月のカイロ宣言で、カイロ会談の決定事項を発表。後述する「大東亜共同宣言」に対抗する意図があった。

3.大東亜共栄圏

・大東亜共同宣言で、西欧諸国の植民地支配を打破してアジア諸民族の独立をはたし、共存共栄を図ることを宣言(大東亜共栄圏)
:大東亜会議の参加国は、日本、中華民国、タイ、ビルマ、フィリピン、満州国、自由インド仮政府。宣言は満場一致で採択。
 だが、実態はアジア解放を大義名分とした、資源獲得のための日本による侵略戦争だったのではないのか? 教科書や解説サイトによると、日本は占領したアジア諸国に対して、皇民化政策という日本人化の強要をしたという。共存共栄と宣いながら、実際は酷いことをしたんじゃねーの?
 「いいや違う、そうではない」という話が、前述した日本のアジアにおける歴史的立場についての講演の内容の一部だった(リンク先は、講演を聞いた当時の私の感想文)。

4.何が真実なのか

 講演会の講師の先生によると、「今の日本の教育では、日本が他国を蹂躙した酷い侵略者なのだという思想を植え付けており、その結果日本人は自分たちに対する誇りを持てなくなってしまっている」とのこと。その教育こそ、戦後教育であり、占領政策である。その出発点は、先述の連合国側の戦後処理構想にまで遡るという。
 では、戦後教育や占領政策はどういうものだったのか? それについては、次回につづく。

参考サイト:
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110409/1302348580
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_e/3796/
https://www.y-history.net/appendix/wh1505-067_1.html
http://historyjapan.org/brief-history-of-pacific-war/2

#歴史 #終戦の日 #近現代史  

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