「ファン」になる瞬間、ネット上の「小物感」
俺は、何かのファンになることがすごく多い。
音楽だったらDragon Ash、お笑いだったらダウンタウン、カフェだったら渋谷の「factory」、ウェブだったらしもつさん(@shimotsu_)、くいしんさん(@Quishin)、SILLY(@SILLY_NEOTOKYO)といった感じ。
「ファン」の定義は人によって変わるから説明は省くけど、これらの人、お店、メディアには必ず毎日触れていて、勝手にファンって自称してる。
そして、思い返してみるとこれらのファンになる瞬間に共通してることがあって、それは「素顔」を見れたとき。
Dragon Ashとダウンタウンは雑誌のインタビューや書籍で話す内容。factoryだったらオーナー・のりおさんにお店を始めた理由を尋ねたとき。しもつさん、くいしんさんは初めてお2人の顔をネットで見たとき、あるいは経歴を知ったとき。SILLYは、正直で爽快なインタビューと編集長の考え方を知ったとき。
これらのタイミングで自分は一気にファンになった。
もちろん「おもしろい」「美味しい」「魅力的」ということは前提なんだけど、さらにいうと、素顔を知るまでに初めはしばらく素性・詳細を明らかにせず少し謎めいた雰囲気があって、ある日突然さりげなくパーソナルな情報を知った瞬間にファンになる。
この謎めいた時期がないと、俺はファンにならない。
逆に言うと、初めから過剰に経歴や考え方を知ってしまうと、興味が長続きしない。
インターネットについてとやかく言うつもりは無いけど、ネットの世界をそれなりに見てきて思うことは、無節操に多くのパーソナルな情報を発信してる人は小物感を覚える時が少なからずある。(もちろん例外もある)
これらの感覚は、これから全く役に立たないかもしれないけど、もしかしたら何かに活きるのかもしれないし、ネットでむやみに小物感を演出しないことはそれなりに大事な気がするから、ちゃんと意識したいなあって。
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