見出し画像

無償で得られていた能力

昨日に、
正司昌子先生から、
取り急ぎと、
お伝えしたいことの原稿を
お預かりしてまいりました。

もしよろしかったら、
ご一読賜りますと幸いです。
よろしくお願いいたします。

・・・・・

ノーベル化学賞を受賞された
吉野彰さんが

「子ども時代、
 野山を走りまわっていた」

と、テレビで話されていました。

それを聞いた
コメンテーターや
視聴者の方々は
その話に共感し、
納得されたと思いますが、
せっかくのよいお話しも、
それで終わりになって
いるのではないでしょうか。

理系のノーベル賞を
受賞された方々に対し

「どのようにしたら、
 先生のように
 なれるでしょうか」

と質問し

「好きなことを続けることです」

と答えられると納得し、
満足して
それで終わり、
というのと
よく似ています。

ノーベル賞を受賞される程の
方々が、わざわざ話して
くださっているのに、
これでは勿体ないですね。

今回、吉野先生が
お話しされ、皆が共感した
「野山を走りまわっていた」
で、
吉野先生は私たちに
何を伝えてくださっていたのでしょうか。

「野山を走りまわっていた」

これを今風に翻訳すると

・無償
・誰でも参加 可
・完全自由 保証
・自発性 自動発生装置
・創造性 思考力 自動的養成道場
・万能運動能力 体力向上 自動的訓練スペース

というようなことではないかと思います。

他にも

・自然に対する感性
・人間関係力養成
・機転
・危機管理能力

など他にも
いろいろあると思いますが、
これらの能力が、自然に身につく
空間であり
走りまわることが
訓練、練習になっていた、
というようなことを

「野山を・・・」

で、伝えてくださっていたのだと
思います。

このように、今風に言うと、
こういう空間が、
どういうものだったのか
いつ、どうしてなくなったのか、
失ったものは何か、
その価値は、
というようなことが
判然と見えてくるのではないかと
思っています。

今はまだ、
こういうものが、
なくなっていく過程を
経験した人達が生きています。
その現場を知っている人達は、
その当時と、
それがなくなってしまった現代とを
頭だけでなく、
体まるごとの感覚を
使って比較することができます。

今回の言語化で、
それがしやすくなると思っています。

そこには、現代の若者に
欠けているといわれているものが
存在し、誰でも無償で享受していました。

しかし、

場が消滅 → 結果、それらのものも
消滅してしまった、
ということでしょう。

消滅した理由は、
急速な文明の進歩など
色々なことが重なっての
ことと思いますが、
そこに存在していた、
見えないものの存在については、
そもそも
存在そのものを知らなかったので、
なくなったことに
気づかなかったのでしょう。

そこで得ていた
さまざまな能力も
無意識的に
獲得していたから
なくなっても
わからなかったのでしょう。

副作用が出るまでに、
時間がかかりました。
その間に
手が打てなかったのは、
そういうものの存在、
目に見えない
能力獲得のシステムが
働いていたことに
気づかなかったからでしょう。

今、若者にかけている
能力について、
何とかしなければと
取り組まれている方が
大勢おられると思います。

「野山を・・・」
を今風に翻訳(言語化)することで、
その構造が誰にも見え、
共有できるので、
対策が立てやすくなるのでは、
と思っています。

無償で
野山をかけまわっていた時間に、
とってかわって入ってきたものは、
有償のものです。
お金のない人は参加できません。

有償化で提供される
能力については、
お金のある人が有利です。

また、商売ですから、
需要の少ないところへも
入ってきません。

ここでも格差ができ、

「無償で得ていた能力」
は、殆ど取り残されたままです。

「野山を・・・」
がなくなった代償は、
国力にも影響を及ぼすように思えます。

正司昌子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?