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死になれ親しむ

生きとし生けるものはみな
生まれたからには死ぬことが
セットメニューでついていて
自然の一部であるのに

自分についても以前には
身内や親しい方に先に逝かれたら

とてつもなく悲しく淋しく
心が泣き叫ぶようでした。

何故そのようになるか
まだはっきりと分かりません。

先日拝見した法話グランプリで
宮崎哲弥さんが

私は死への恐怖から
仏教を学ぶようになりました

と仰っていたのをお聞きし

死は何かが
また心に浮かびあがりました。

すると先日
インドにお住まいの方が

こちらでは誰か亡くなると
午前中に亡くなれば
午後にはもう荼毘に付し
あまり別れを惜しまない
と言われているのをお聞きし

またそういえば

小野龍光さんと高橋淨久さんが
昨年ガンジス川へ行かれた際に
川のほとりで
火葬の様子を一部始終見ることが
できる施設があったと
仰っていたのを思い出しました。

死を隠さず見せることで
怖れが少くなるような事もあるかも
と思いました。

私の体験では
死の瞬間にあえたのは弟の時で

また

亡骸にふれ
納棺にたちあえたのは親友の時でしたが

悲しい気持ちはあるけれど
怖い感じはありませんでした。

死を思う事により
生が輝く

こともあり

今日の夕方にもし
自分の生が終了するなら

と思いつつ
今日は一日過ごしてみます。

そしてセットで
120歳まで生きるのも自由だから

照らし合わせてみてみます。

心からの感謝とともに。

そして
思い描いた未来が
現実になります。

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