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「反日」江沢民に勝利した胡錦涛の靖国批判──友好ムードを演出しつつ、首相参拝に釘を刺す(「神社新報」平成19年1月23日号)


 日本の将棋と中国の将棋(シャンチー)にはいくつかの際立った違いがあります。たとえば日本では相手から奪い取った駒を自分の駒として再利用できますが、中国にはこの「持ち駒」のルールはありません。取った駒は捨てられるだけ、活かして使うという発想はありません。

 ところが面白いことに中国の権力中枢では、相手の得意技を持ち駒にして切り返し、逆に相手を攻め立てるという丁々発止の政治闘争がしばしば見受けられます。

「やられたら、同じ手法でやり返せ」

 という中国流のケンカ殺法でしょうか。


▢1 胡錦涛の持ち駒


 二〇〇二年(平成十四年)の胡錦涛政権成立以来、胡錦涛ら対日重視派と江沢民(前国家主席)ら強硬派との間に激しい権力闘争が展開されてきました。政争の具として用いられてきたのが歴史問題、靖国問題で、強硬派は小泉参拝をきびしく批判し、対日柔軟姿勢をとる胡錦涛政権を弱腰と攻め立てたのでした。

 ところが、小泉首相のたび重なる靖国参拝で反日強硬派は十分な政治的成果を上げることができず、逆に後退を余儀なくされたのでしょう。昨年(平成18年)八月十五日の小泉参拝後、北京の日本大使館に押しかけた反日デモはわずか二十人。反日行動は当局によって完全に封じ込められています。

 一方で、江沢民の権力基盤である上海市のトップ、陳良宇(市党委員会書記、政治局員)は汚職事件で失脚しました。現職政治局員の解任を決定づけたのは江沢民の右腕・曾慶紅の寝返りで、いま上海では三十億円に上る不正蓄財を暴く暴露本が駅の売店などに平積みされていると伝えられます。追い落とし劇は熾烈を極めます。中央が直接指揮する捜査は続き、牙城を切り崩された江沢民は公の場に姿を見せていません。対日強硬派の失墜です。

 しかし靖国批判は止みません。政争の具は江沢民派から今度は胡錦涛派の手へと渡り、いわば持ち駒となったのです。

 胡錦涛は政権発足の当初、歴史問題を後景化させ、日本を政略的に重視する「新思考外交」を展開しました。首脳会談で靖国参拝に触れることもありませんでした。

 胡錦涛が直接、小泉参拝を批判するようになったのは、サッカー・アジア杯の反日暴動から三カ月後、平成十七年十一月の首脳会談が初めてでした。国内を治められなければ、足下をすくわれます。反日が国益にかなうはずはないのに、日本に毅然たる態度を取らなければ「軟弱外交」と批判されます。党・国家・軍の三権を掌握したものの政権基盤が依然として不安定な胡錦涛は靖国参拝批判を持ち出さざるを得なかったのです。

 しかし、いわば強硬派の批判をかわすためのアリバイ証明だった参拝批判は、いまでは逆に強硬派を攻め立て、完全排除する道具として機能しているようです。


▢2 政治的勝利宣言


 日本の政権交代と北朝鮮の「核実験」宣言を絶好の機会として、胡錦涛政権は昨年、安倍新首相の訪中を要請しました。靖国神社に五年間、参拝し続けた小泉前首相をこき下ろし、悪者に仕立て上げることで、雪解けムードを演出し、安倍首相は異例の厚遇で迎えられました。中断していた首脳会談の早期再開を望んでいたのは中国でした。

 首脳会談後の日中共同プレス発表には「戦略的」という言葉が何度も現れます。会談は胡錦涛新外交路線の完全復権ののろしといえます。

 安倍首相と胡錦涛が固い握手を交わしていたとき、北京では中央委員会第六回総会が開かれ、経済成長を第一とした江沢民時代から脱却する

「調和のとれた社会」

 を政策目標とするコミュニケを採択しました。

 しかし小泉時代の終わりと「反日」江沢民時代からの脱却が靖国問題の終焉とはならず、胡錦涛政権による靖国批判は続いています。

 先の首脳会談では、

「靖国神社に行くとも、行ったともいわない」

 という「あいまい戦術」をとる安倍首相に、胡錦涛は

「戦争被害者の人民の感情を傷つけるようなことを二度としないように」

 と参拝中止を間接的に要請しました。

 また昨年(平成18年)十二月には中国国営の新華社通信が発行する雑誌『環球』が日中の歴史問題をテーマとする王毅駐日大使の特別インタビューを掲載し、中国共産党機関紙の人民日報はネットでこれを翻訳し、転載しました。

──いわく、過去五年間、日本の指導者(小泉首相)がA級戦犯をまつる靖国神社参拝したことから日中関係はもっとも困難な局面に陥った。
 戦後の日中関係再建は、日本政府が侵略戦争を認め、その責任を負うことが基礎である。A級戦犯は日本軍国主義の象徴であり、その美化や肯定には同意できない。
 安倍首相の訪中は両国関係に希望の窓を押し開いた。
 日中双方は「歴史を鑑として未来に向かう」精神を堅持し、戦略的互恵関係構築の方向を明確化し、胡錦涛主席が打ち出した「平和共存、世々代々の友好、互恵協力、共同発展」の目標を実現することで合意した。
 政治的障害さえ克服すれば、両国は相互利益の展望を切り開くことができる──。

 あいまい戦術を奇貨とし、対日強硬派がなしえなかった首相参拝中止を表向きだけでも達成できれば、胡錦涛の外交的、内政的な勝利は確定します。政府と党のメディアはその政治的勝利を内外に宣伝したのです。


▢3 微笑外交のカゲで


 小泉内閣時代には首脳外交を拒否する強硬姿勢を続けてきた中国は、安倍政権発足後は一転して「ほほえみ外交」を展開しつつ、訪中した政府・与党関係者に首相の靖国参拝を牽制しています。年が改まり、今月、フィリピンで行われた首脳会談でも、温家宝首相は友好ムードの演出に努めましたが、

「両国関係の発展には困難が残っている」

 と釘を刺すことを忘れませんでした。

日中首脳会談について伝える東京新聞(平成19年1月15日)


 相前後して開かれた自民党大会は運動方針に

「靖国神社参拝を受け継ぐ」

 と明記し、首相参拝への意欲を表明していますが、中国側は春には温家宝首相が、秋には胡錦涛主席が相次いで来日します。靖国神社の例大祭に時期に合わせ、友好を盛り立てるとともに靖国参拝を封じ込める狙いといわれます。

 他方、安倍首相は夏から秋にかけてふたたび訪中し、さらには九月の日中国交正常化三十五周年に合わせて、空前絶後の大訪問団を相互に派遣するとの報道もあります。

 今年は盧溝橋事件および南京「虐殺」から七十年。ある程度のガス抜きは認めるとしても、反日が火を噴いて、政権が脅かされるのを避けたい胡錦涛政権としては、お祭りムードの高まりで、不安要素を吹き飛ばしたいのでしょう。要するに、中国は靖国の神を恐れているということでしょうか。


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