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法的に曖昧なままの皇室制度を正常化するために──「文芸春秋」4月号「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」についての感想 by 秋葉嘉明(2011年4月26日)


先月3月10日発売の「文藝春秋」4月号に掲載された拙文「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」に対する感想文が寄せられましたので、掲載します



 現行憲法は、日本及び日本人が伝えてきた宗教的伝統と国及び社会との関係を非常に判りにくいものにしてしまいました。しかし、一国民の宗教心は、憲法や法律の条文に依存して存在しているわけではありません。

 戦後、憲法が変わり、行政の神宮神社に対する関与の内容が変わっても、そこで営まれる祭祀のあり方そのものの変更は最小限にとどめられるよう、占領下においても、そして講和条約発効後も最大限の努力が払われてきました。これが戦後の神道史に関する神社関係者の共通の理解だと思います。

 しかし「宮中祭祀」は、神話と歴史とともにある高度な公共性を背景として、天皇陛下が奉仕されるという祭祀であるがゆえに、現行憲法のもとで神宮・神社の祭祀以上に微妙な立場に置かれることになってしまったのだと思います。

 さらに、皇室制度自体が法律上曖昧な位置づけとされたまま整備を怠ってきたことに加えて、皇室をお守りすべき宮内庁自身が、内閣府や外務省などの外部の官僚の政治力学のもとにあったことが問題であったと思います。

 そうした状況の中でご公務の「調整・見直し」を進めた結果、現在の憂うべき状況をもたらしたのではないかと考えます。

 文芸春秋4月号の「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」を読んで、以上の点について思いを新たにしました。

 かつて、永田忠興掌典補の宮中祭祀に関する警鐘を取り上げた週刊文春の記事において、福田恆存氏が、「もし、こんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を救出する落下傘部隊がいりますねえ」とコメントしたことが斎藤さんのブログでも紹介されていますが、いまこそ奇襲作戦ではなく地上部隊による正面攻撃で、宮内庁及び政府の姿勢を正してゆく必要があると思います。

 そのためには斎藤さんが最後に述べているように、国民一人ひとりが宮中祭祀についての理解を深めていく必要があります。天皇陛下の祈りに応えるべきは、政治家や官僚という立場の人々ではなく、我々国民であろうと思うからです。

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