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増えるご公務、減る祭祀──宮中祭祀の主体は宮内庁ではないのに(2011年1月15日)


◇1 ご健康に配慮したといえるのか

 テレビのお正月番組で、天皇陛下のご公務の激務ぶりが取り上げられていました。ご負担削減の方針が打ち出されたものの、実際は名ばかりで、あまり変わっていない、というように、元宮内庁担当記者が解説していました。当メルマガが以前から一貫して指摘してきたことです。

 宮内庁が陛下のご高齢とご健康に配慮して、ご公務ご負担の削減を打ち出したのは、平成21年2月でした。しかし、ご公務は逆に増え、祭祀ばかりが減っています。

 次の表は、宮内庁がネット上に発表しているご公務のあった日数を、平成17年から昨年まで、月ごとに単純計算したものです。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gonittei01.html

平成 17 18 19 20 21 22
1月 23 21 22 21 19 23
2月 17 18 19 23 19 17
3月 23 23 23 27 25 26
4月 21 22 21 20 21 23
5月 20 25 22 19 20 23
6月 24 23 23 25 25 24
7月 19 20 21 22 26 20
8月 23 18 22 19 19 23
9月 23 26 22 27 22 23
10月 26 25 24 24 27 24
11月 26 25 26 27 23 23
12月 22 24 23 16 23 23
合計 267 270 268 270 269 272

 ご覧の通り、少なくともご公務の日数において、一昨年も昨年もご負担の軽減はまったく実現されていません。昨年は過去6年間で最高の、年間272日という驚くべき水準に跳ね上がりました。3月は26日、月平均では22.7日のご公務をこなされています。

 ここには、宮内庁書類のご決裁などは含まれていませんから、文字通り土日もない忙しさが「調整・見直し」のあとも続いています。これで陛下のご健康に配慮したといえるのでしょうか。いったい何のためのご負担軽減策なのでしょう。


◇2 天皇の祭祀の本質を理解していない

 ご負担軽減の狙い撃ちにされているのが宮中祭祀です。

平成 17 18 19 20 21 22
1月 5 5 6 5 4 6
2月 3 3 3 3 1 3
3月 4 3 2 3 1 2
4月 4 3 1 2 2 3
5月 1 3 4 1 1 1
6月 3 4 3 4 3 1
7月 2 2 3 2 3 1
8月 2 1 2 2 0 0
9月 2 2 2 3 1 1
10月 3 1 2 2 2 3
11月 2 2 3 2 3 1
12月 6 5 5 3 4 4
合計 37 34 36 32 25 26

 宮内庁がホームページに宮中祭祀の日程を掲載するようになった17年には年間37日の祭祀のお出ましがありましたが、ご負担軽減策が打ち出された一昨年は25日、昨年は26日に激減しました。歴代天皇が第一の務めとしてきた祭祀は、明らかにご負担削減の標的にされています。

 とはいえ、ご公務が減っていない、逆に祭祀が激減している、ということを実証的に説明することはじつは簡単ではありません。当メルマガでは分かりやすく説明するために、宮内庁の説明に沿って、ご公務の件数、ご公務があった日数、祭祀の件数(お出ましの回数)などを、便宜的に数値化して立証していますが、そもそも祈りは回数ではないからです。つねに祈っているのが天皇だからです。

 しかし宮内庁自身が、祭祀王たる天皇の本質を見誤っています。宮内庁は、毎年、天皇誕生日に合わせて、一年間のご公務について説明していますが、「陛下はこの1年に執り行われた28回の祭典に列せられました」と書かれています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html

 宮中祭祀は、天皇が主体の、天皇の祭祀です。天皇は「祭典に列せられる」というような参列者ではなく、主催者なのです。宮内庁自身が宮中祭祀の本質を見誤っています。そのことが最大の問題だと思います。


◇3 官僚たちが土足で踏みにじる

 宮内庁は、一昨年の天皇誕生日に、祭祀の簡略化について、「宮中祭祀につきましては,新嘗祭について「夕の儀」は従来どおり出御になるとし,「暁の儀」は時間を限ってお出ましいただくこととなったほか,毎月1日に行われる旬祭については5月1日及び10月1日以外は,ご代拝により行うこととなりました」と説明しています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokanso-h21e.html

 簡略化の結果、一昨年来、8月は陛下の祭祀のお出ましが完全になくなりました。

 年2回に削減された毎月1日の旬祭というのは、平安中期、宇多天皇の時代から行われてきたといわれます。皇室がもっとも重きを置いた、毎日行われる日供(にっく)の延長として、旬祭は位置づけられていました。

 明治の時代まで、雨の日も風の日も、天皇は清涼殿の石灰壇にお出ましになり、地面にまでへり下りられて、国と民のために祈りを捧げられました。これが石灰壇の御拝で、明治4年10月以降、日供ののち、側近の御代拝を三殿に差し遣わす毎朝御代拝となりました。小祭でもない旬祭ですが、歴史的には重要な祭りです。

 ところが、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書きましたように、昭和40年代、入江相政侍従長、富田朝彦宮内庁長官の時代に、昭和の簡略化が行われ、いまはこれを踏襲する平成の簡略化が進行し、年2回に削減されました。

 明治の時代はまだしも皇室祭祀令という成文法がありましたが、現行憲法の施行に伴って皇室令は廃止され、「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」などとする、宮内府長官官房文書課長・高尾亮一の名前による依命通牒という、いわば官僚の紙切れ一枚で、天皇の聖域の伝統は引き継がれ、その後、半世紀以上、改善されずにきました。

 この危うさが、皇族がまったく関わらない、官僚たちによる密室での祭祀簡略化をもたらしています。権限のないはずの官僚たちが陛下の聖域を土足で踏みにじっているという構図です。


◇4 追認を余儀なくされる天皇

 昭和の祭祀簡略化は入江侍従長の祭祀嫌い、装束嫌い、加齢に端を発していますが、平成の祭祀簡略化は渡邉允前侍従長らの祭祀に対する不十分な理解と官僚的先例主義が発端です。

 渡邉侍従長は雑誌「諸君」(平成20年7月号)のインタビューで、新嘗祭のときの正座や「紐で体を締め付ける装束」のつらさについて語り、これらが祭祀簡略化の理由であるかのように説明していますが、まったくの筋違いです。

 近代生活のなかで功成り名を遂げた官僚たちはいざ知らず、慣れている人たちには正座の方がむしろ楽だといわれますし、上手な人が着付けをすれば「締め付ける」ことはないのです。そのことは祭祀の専門家である現役の神職が指摘しています。
http://www.melma.com/backnumber_170937_5066911/

 しかし天皇の祭祀は、祭祀を十分に理解しない官僚たちの独走によって、これ以上ないといわれるほどに形式化が進んでいるようです。しかも天皇は受け身的に追認を余儀なくされています。

 宮内庁は一昨年の天皇誕生日の資料で、「見直しから約1年が経過しましたが,陛下は11月の記者会見でも述べられたとおり,このままお務めを続けられるご意向と拝察しております」と説明していますが、手前味噌に聞こえます。

 陛下は昨年暮れの会見で、「今のところこれ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」と述べられ、争わずに受け入れる至難の帝王学を実践しつつ、ご公務への決意を表明されました。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html


◇5 「陛下の私的な活動」に成り下がる

 昭和の時代にも同様のことがありました。

 昭和46年11月23日の入江日記には、次のように書かれています。

 「……今年から新嘗はさわりだけに願ったので、出勤も遅くてよく、5時半に迎えの車が来るはずのところ、運動のために歩いて出勤、いい気持ちである。相撲を十両から打ち出しまで見る。こんなことも珍しい。6時過ぎにまた入浴。今日は都合3回の入浴。7時に吹上発御、吹上への還御は8時10分。お帰りのお車のなかで「これなら何ともないから、急にも行くまいが、暁もやってもいい」との仰せ。ご満足でよかった。みんなといっしょに酒肴。帰宅したのはかれこれ2時」

 祭祀より相撲観戦を優先するような、入江の身勝手きわまる簡略化に、昭和天皇は最大限抵抗されていたのでしょう。天皇が祭祀王という存在であればこそ、当然のことでした。

 宮内庁は昨年暮れの天皇誕生日に、1年間を振り返り、「宮中祭祀は,陛下は恒例の祭典のほか,東山天皇三百年式年祭,反正天皇千六百年式年祭,孝安天皇二千三百年式年祭,應神天皇千七百年式年祭などこの1年に執り行われた28回の祭典に列せられました。なお,昨年より新嘗祭は「夕の儀」は従来どおり出御になり「暁の儀」は時間を限ってお出ましになっており,また毎月1日の旬祭は5月と10月以外はご代拝により行われています」と説明しています。

 簡略化の結果、平成19年から、昭和の時代と同様に、御所で、モーニングで行われていた元旦の四方拝が、昨年、ふたたび神嘉殿南庭に復したことは評価されるべきですが、歴代天皇の式年祭に偏する宮内庁の説明を読むと、ひたすら国と民のために祈りを捧げるはずの天皇の祭祀は、まるで祖先崇拝に変質してしまったかのようです。

 つまり、天皇の祭祀は「陛下の私的な活動」(渡邉前侍従長)に成り下がり、私たちは多宗教的、多神教的文明の中核を失いつつあるということです。

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