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宮中三殿改修による祭祀の簡素化──西洋風の筋交を入れて補強(2008年04月08日)



 このところ数回にわたって、宮内庁長官「苦言」騒動について、取り上げてきました。長官の「苦言」それ自体、異例ですが、皇太子殿下の「プライベート」発言も衝撃でした。古来、「絶対無私」のお立場に徹してこられたのが日本の皇室だからです。

 メディアは今回の騒動を「宮中激震」「皇室の亀裂」とショッキングな見出しなどで伝えていましたが、当メルマガはあらためて歴史を振り返り、構造的な問題として、「公」を貫かれてきた日本の皇室が近代になり、「私」という相矛盾する価値をも追求する苦悩と葛藤のなかにおかれていること、プライバシー暴きに血道をあげ、騒動を導いたマスコミの挑発・誘導という外的要因が見落とされていることなどを指摘したつもりです。

 今号では騒動に関連して浮かび上がっている、気がかりな皇室祭祀の簡略化問題について、考えてみます。

▽宮内庁の反論


 宮内庁は皇室に関するマスコミの誤報・虚報などが相次いでいることへの対策として、昨年末、抗議や反論などをホームページ上で公開するようになりました。

 今回の報道に関しては、「文藝春秋」4月号の座談会「引き裂かれた平成皇室」について、3月21日付で、2点の指摘がされています。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/taiou-h200321.html

 指摘はいずれも祭祀に関することでした。

 記事では、ある大学教授が、皇后陛下が「祭祀に非常に熱心」であることの例として、「天皇と皇太子が出ればいい小祭」にも「一部」ながら出席していること、今上陛下の手術静養中には代わって祭祀に出席されたこと、を挙げました。

 これに対して、宮内庁は、「天皇陛下および皇太子殿下のみが御拝礼になる小祭は、歳旦祭、祈年祭、天長祭の3つ」である、などと反論しています。

 参考までにいえば、宮内庁のホームページには皇族方のお出ましが一覧表になって掲載されています。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/taiou-h200321-1.html

▽「潔斎(けっさい)も要らない」?


 宮内庁の指摘通り、天皇の代理として皇后が祭祀に出席するということも聞きません。

 戦前は皇室祭祀令(明治41年)という成文法の定めがありました。天皇がみずから祭典を行うのが大祭で、小祭は天皇が拝礼し、掌典長が祭典を奉仕します。小祭について、「天皇喪ニ在リ其ノ他事故アルトキハ前項ノ拝礼ハ皇族又ハ侍従ヲシテ之ヲ行ハシム」と規定されていましたが、天皇の代拝を皇后がお務めになることはあり得ないでしょう。

 あり得ない、といえば、座談会では次のような発言もありました。

「祭祀といっても、現在は宮中三殿が耐震補強中で、仮殿で行われていて簡略化されているし、潔斎も要らない」

 潔斎が不要? そんなことがあり得るのでしょうか。祭祀はみずからの罪穢れを祓い清めて神に近づき、神と一体化し、御神意を引き継ぐという意味があります。当メルマガで何度も引用してきたように、「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」1221年)です。祭祀最優先の皇室において、潔斎が要らないとは信じられません。

 詳しい方にさっそく聞いてみましたが、案の定、「あり得ない」という言葉が返ってきました。

 だとすれば、なぜ宮内庁は抗議をHP上に掲載しないのでしょうか。

▽筋違を入れて補強


 もっとも気がかりなことは、この発言にある、耐震改修に関わる祭祀の簡略化です。

 報道によると、宮中三殿の耐震工事は一昨年に始まりました。主要工事がほとんど完了したことから、先月25日には御霊代(みたましろ)をお遷しする奉遷の儀が執り行われました。

 工事中は神事は仮殿で行われ、天皇陛下はモーニング、皇后陛下はロングドレス姿という洋装で、庭上から拝礼する形式がとられていたと伝えられます。

 明治21(1888)年に完成し、大正12(1923)年の関東大震災による破損修復以来となったといわれる今回の工事ですが、具体的には筋違(すじかい)を入れて床下を補強するなどの改修が行われたようです。

 首都を壊滅させた関東大震災はマグニチュード7.9でしたが、宮中三殿はこれに耐えました。四竈(しかま)侍従武官の『日記』などによると、地震発生からほぼ一月後には「震災並びに帝都復興の事を御親告の儀」が荘重に行われています。

 つまり現在地に遷座して以来、100年以上、いくたびかの地震に耐えてきたのはそれだけ高い耐震性をもつ建造物であることの証明ですが、今回は震度6強の地震で部分的破損の可能性があるとして工事が行われたといわれます。

 しかし、老朽化し、大地震で損壊のおそれがあるとしても、筋違を入れるという補強工事は妥当な選択だったのでしょうか。

▽「かえって危険」


 以前、宗教専門紙に書きましたが、もともと日本の伝統的木造建築には筋違と呼ばれる斜材がありませんでした。日本の建築に導入されたのは明治以後で、大地震がきっかけでした。
http://homepage.mac.com/saito_sy/religion/H170124JSmokuzo.html

 お雇い外国人のコンドルが、明治24年の濃尾地震の被災地調査のあと、「日本家屋が地震に弱いのは筋違がないのが原因」と指摘し、以来、日本の建築は基礎を固め、筋違で抵抗力を増し、金物で補強するというヨーロッパ風の「剛」構造路線をひた走ってきたのです。

 しかし「柔」構造の伝統的木造建築には、太い柱自体に転倒復元力があり、木材の接合部には応力の吸収力があります。そこへ筋違を入れて建物を固めれば、力のバランスが崩れ、「構造上、かえって危険」と指摘する木造建築の専門家もいます。

 最近では木造建築に関する科学的な研究も進んでいます。阪神大震災以後は建築基準法が大改正され、性能が証明されれば、かつては日陰者扱いだった木造建築が近代構法と同等に論じられるようになりました。逆に、霞ヶ関ビル以来、近代構法が「柔」構造を取り入れています。

 しかし明治の洋風化の発想から脱却できない人たちがまだいるのでしょう。その結果、日本の伝統の核心部分であるはずの宮中三殿に、西洋風の筋違を入れるという改修工事の決断がなされ、そして皇室の祭祀は簡素化されたのです。

 不要な改修、望まれざる近代構法導入に起因する祭祀の簡略化だったとしたら、見過ごされていいことではありません。改修された宮中三殿が「かえって危険」なら、なおのことです。杞憂であればいいのですが……。

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