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誤解ではなく確信犯である ──皇室典範有識者会議報告書を読み直す その1(2009年3月24日)


▽1 皇霊祭に皇太子の御代拝なし


 先週の金曜日は春分の日でした。お彼岸の中日のこの日、お墓参りをされた読者も多いことかと思いますが、宮中三殿の皇霊殿では春季皇霊祭が、神殿では神殿祭が執り行われ、天皇陛下がみずから親祭なさいました。

 どんな祭祀かといえば、八束清貫(やつか・きよつら)元宮内省掌典の「皇室祭祀百年史」によると、皇霊祭は歴代天皇、皇后、皇族を追遠する祭祀、神殿祭は天神地祇を崇敬する祭祀と説明されています。

 参列者によると、麻生首相以下、政府高官が幄舎(あくしゃ)に着床し、続いて秋篠宮同妃両殿下ほか皇族方がおそろいになったあと、午前10時に天皇陛下が皇霊殿・神殿の順に玉串拝礼され、お告文(おつげぶみ)を奏されました。そのあと皇后陛下が拝礼されたとのことです。

 本来ならば、皇太子、同妃の拝礼が続くのですが、皇太子殿下はこの日の午後、トルコから帰国され、妃殿下は療養中で、いずれも拝礼はなく、側近による御代拝もなかったようです。

▽2 なぜ帰国を1日早めなかったのか


 両殿下の御代拝がないのは、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書いたように、昭和50年8月に側近たちによって皇后、皇太子、同妃の御代拝の制度が廃止されたからです。

 その背景には誤った政教分離の考え方があることは、拙著でくどいほどに説明しましたが、憲法の解釈運用の誤りだけではなく、同時に祭祀軽視の発想が側近たちにあることが想像されます。そうでなければ、持統天皇の時代から恒例化され、重儀とされてきた皇霊祭・神殿祭に、皇太子の拝礼がないというような日程が組まれるはずはないからです。

 祭祀破壊の張本人である入江侍従長の日記には「(昭和天皇の高齢に配慮して)春秋皇霊祭と新嘗祭だけにして」(昭和55年1月4日)と記されています。むろんご高齢に対する配慮は名目ですが、あの入江でさえ数ある祭儀のなかでも重く受け止めていたのが年2回の皇霊祭と新嘗祭だったことがこの記述からうかがえます。

 だとするならば、です。世界水フォーラムは開会式が16日、殿下の基調講演はその翌日です。側近らはなぜ、春季皇霊祭に間に合うようにご帰国を1日早めるという日程を組まなかったのでしょう。

 祭祀軽視は入江時代より深刻化しているのではないか。皇室の歴史と伝統を深く理解し、皇室を支えるべき藩屏の不在という深い闇が重苦しくのしかかっている、と痛感せざるを得ません。

▽3 なぜ女系継承を認めたいのか


 深い闇の背後に何があるのか、をこのメルマガでじっくりと考えてみようと思います。その材料として、平成17年11月に皇室典範に関する有識者会議がまとめた報告書を取り上げます。

 昨年暮れの陛下の御不例のあと、宮内庁長官は所見で「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子」と語りました。医師の見立ては「急性の病変」であったにもかかわらず、です。

 側近らは、陛下のご負担軽減は名ばかりで、御不例を奇貨として、皇室典範会議よりはるか以前からの自分たちの悲願である女性天皇・女系継承容認を推進させようという意図がありありのように私には見えます。

 なぜ側近らは、そうまでして、史上、存在する女性天皇のみならず、過去の歴史にまったくない女系継承まで認める制度改革に乗り出そうとするのか。議論の前提にまでさかのぼって考えてみたいと思います。

 拙著に書いたように、天皇が万世一系の祭祀王であるならば、女系継承は認められません。しかし官僚たちには祭祀王という理解は完全に欠けているようです。天皇の本質を誤解しているのではなく、いわば確信犯です。

 だとすれば、天皇の祈りの歴史を否定してでも女系継承を認めるという官僚たちの発想の背後にあるものは何か、読者の皆さんとともに見極めたいと願っています。

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