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再考。誰が「女性宮家」を言い出したのか──所功教授の雑誌論考を手がかりに(2012年02月26日)


 今日も、いわゆる女性宮家創設論について取り上げます。

 当メルマガは、当世随一の皇室ジャーナリスト、岩井克己朝日新聞記者による「週刊朝日」などの記事を資料として、「女性宮家」の最初の提唱者は渡邉允前侍従長であり、著書の『天皇家の執事』文庫版(昨年12月)の「文庫版のための後書き」(昨年10月執筆)に、「例えば、内親王さまが結婚されても、新しい宮家を立てて皇室に残られることが可能になるように、皇室典範の手直しをする必要があると思います」と記されていることを突き止めました。


 けれども、「女性宮家」創設論はどうやら、さらに数年、さかのぼりそうです。前侍従長の提案と決めつけることも出来ないようです。


▽1 羽毛田長官の解説が発端?

 当メルマガは、2月5日号で、雑誌「正論」3月号に掲載された、所功京都産業大学教授の記事を取り上げました。

 所教授の記事は冒頭に、昨年(2011年)10月、羽毛田信吾宮内庁長官が野田佳彦首相に、女性皇族が婚姻によって皇室を離れるため、皇族の数が少なくなるから、「皇室のご活動に支障を来す」と解説したことが、「女性宮家」創設問題の発端であるかのように書かれています。文章の最後は「解説したという」となっていますから、何かの引用なのでしょう。

 何か特定の資料をもとに、「女性宮家」創設の提唱者は羽毛田長官である、と先生はお考えなのでしょうか? しかし、それはこれまでの当メルマガの理解とは異なります。岩井記者の雑誌記事によれば、野田首相に「女性宮家」創設を「火急の件」として提案したと伝えられていることについて、羽毛田長官は強く否定しています(「週刊朝日」昨年12月30日号)。


 もっとも、所教授の記事は、羽毛田長官が「女性宮家」創設を提案した、とは書いていません。記事には参考文献などは示されていませんが、長官を最初の提唱者とする特別の資料があるのかも知れません。

 ということで、久しぶりにご本人に直接、お話ししてみました。

 意外な答えが返ってきました。複数の資料を見た。「女性宮家」を誰が言い出したのか、知らない、というのです。

 だとすると、先生は、誰が、何の目的で言い出したのか、その内容も明らかにしないまま、「女性宮家」創設の議論を進めているということになります。

 そんなことがあり得るのでしょうか?


▽2 有識者会議で「女性宮家」を唱えた所教授

 所教授の「正論」掲載記事には、こう説明されています。


「この『女性宮家』案は、8年前『皇室典範有識者会議』で検討し、その報告書に『皇族女子は、婚姻後も皇室にとどまり、その配偶者も皇族の身分を有することとする必要がある』としている」

 けれども、たいへん重要なことですが、「安定的で望ましい皇位継承」のための方策を追求した同会議が「女性宮家」案なるものを検討したとは、少なくとも私は知りません。同報告書に「女性宮家」についての記述はありません。

 教授が指摘するように、たしかに報告書に「現行制度では、皇族女子は天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れることとされているが、女子が皇位継承資格を有することとした場合には、婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」(「3、皇族の範囲」)と述べられていますが、「女性宮家」とは表現されていません。

 教授は、女性皇族が婚姻後も皇室にとどまることが、「女性宮家」創設と同義であるとお考えなのかも知れません。しかし「宮家」創設が皇族身分継続の要件でないことは明らかです。

 にもかかわらず、なぜ、有識者会議で検討された、報告書に載っている、と言い張らなければならないのか?

 じつは、有識者会議で「女性宮家」創設を唱えたのは、所教授その人だったのです。同会議は識者からのヒアリングを行っていますが、教授は平成17年6月8日、会議に招かれ、こう述べています。

「皇族の総数が現在かなり極端に少なくなってきております。しかも、今後少子化が進み更に減少するおそれがあります。このような皇族の減少を何とかして食い止めるためには、まず女性皇族が結婚後も宮家を立てられることにより、皇族身分にとどまられることができるようにする必要があります」


 まさに報告書を先取りする発言です。報告書は「宮家を立てて」が脱落しただけです。ただ、厳密には「女性宮家」という発言はありません。

 けれども、教授が当日配布した資料には、「女系継承の容認と女性宮家の創立」と明記され、「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女も皇族とする必要があろう」などと記されています。


 何のことはない、「会議で検討された」のではなくて、所教授が言い出しっぺなのではありませんか? それなら、なぜ教授は、「『女性宮家』を誰が言い出したのか、知らない」などと答えなければならないのか?


▽3 「女性宮家」創設を提案する「研究者」

 朝日新聞のデータベースで、「女性宮家」をキーワードに検索すると、もっとも古い記事は「週刊朝日」2004(平成16)年7月9日号に掲載された「雅子さま、救う『女性宮家』考」という4ページの記事であることが分かります。


 さっそく記事を読むと、そのリードには、「皇太子さまの異例発言を受け、盛り上がる皇室典範改正論議。『女性天皇』が認められれば、皇太子妃雅子さまの悩みも軽減される──というわけでもないらしい。愛子さまのプレッシャーを軽くするには『女性宮家』の創設が先だとする研究者もいる」と書いてあります。

 記事が言及する「女性宮家創設」を提案する皇室「研究者」とは誰か、といえば、ほかならぬ所教授で、次のようなコメントが載っています。

「雅子さまや愛子さまの身になって考えれば、いま、いきなり女性天皇にいってしまうのは重圧が大きすぎると思われます。天皇になると、男性でも過酷な重労働を一生続けなければなりません。まずは女性皇族が結婚しても皇族の身分でいられる制度を整えるべきだと思います」

 雑誌記事が出てから約半年後、12月27日に設置されたのが皇室典範有識者会議であり、その報告書は翌年11月24日、小泉首相に提出されました。

報告書を受け取る小泉総理@官邸


 少し調べれば、これだけの資料が出てくるのに、所先生は自分が提唱者だとはおっしゃりません。

 そればかりではありません。所先生は、「女性宮家」創設案の提唱者が渡邉允前侍従長であるかのように書いています。


▽4 宮内官僚と皇室研究家のアウンの呼吸?

 雑誌「WiLL」昨年10月号から始まった連載「『皇室典範』改正問題の核心」の第2回「改正をどう進めるか」には、次のように書かれています。


「(皇族の数が激減する)こうした危機を回避するには、皇族女子も男子と同様に、宮家を創立して継承できるよう、現行皇室典範第12条を改正するほかない。
 このような案は、すでに前侍従長(現侍従職御用掛)の渡邉允氏が、平成21年11月11日付『日本経済新聞』朝刊に掲載されたインタビュー記事の中で、『皇統論議は将来の世代に委ね……女性宮家設立に合意できないものか』と述べておられる(翌22年1月31日放映のテレビ朝日「サンデー・プロジェクト」録画対談、および「週刊朝日」同年12月31日号の特別対談でも同趣の発言があった)」

 所先生のいう「日経のインタビュー記事」は不正確です。日経はご在位20年企画として、11月6日から社会面に「平成の天皇」という連載を載せていたのです。11日は連載の最後、5回目で、「皇統の悩み。『女系』巡り割れる議論」でした。

 記事は「宮内庁には『このままでは宮家がゼロになる』との危機感から、女性皇族を残すため女性宮家設立を望む声が強い。しかし『女系天皇への道筋』として反発を招くとの意見もある」と述べ、そのあとに渡邉允前侍従長の私見と断ったうえで、既述の「女性宮家設立」案を語らせています。

 所教授の「女性宮家」論と渡邉侍従長の「女性宮家」論は、少なくとも表向きは異なります。一方は皇位継承論であり、一方の目的は「皇室のご活動」の確保です。けれども、いずれにせよ、女系継承容認に至ることはいわずもがなです。

 結局のところ、いったい誰が「女性宮家」を最初に言い出したのか、私は宮内官僚と皇室研究者とのアウンの呼吸と見ますが、いかがですか? 所教授の「WiLL」連載はちょうど読売が「女性宮家」創設を「スクープ」し、前侍従長が文庫本の「後書き」を書いていた時期と重なります。

 渡邉前侍従長によれば、「女性宮家」創設論は皇位継承問題とは「別の次元」の問題とされています。つまり、「別の次元」と先手を打って、女性天皇・女系容認反対論を封じ込め、その一方で、過去の歴史にない制度改革を粛々と進める。研究者による理論武装および国民への「啓蒙」も着々と進行するという算段でしょうか?


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