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宮中祭祀の「秘儀」たる所以について──独り歩きする折口信夫の真床覆衾論(2009年3月17日)


 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』の出版がきっかけで、内輪の講演会が行われました。熱心に聞いていただき、畏敬する名誉教授からもお誉めの言葉などを頂戴し、手応えを感じた一方で、新聞記者出身のある大学教授からいただいたコメントがいまも頭から離れずにいます。


 きょうはそのことについて書きます。つまり、宮中祭祀の秘儀とは何か、です。

▽1 新帝は大嘗宮で何をなさるのか?


 私の大学時代のサークルの先輩でもある教授は、天皇が皇位継承後、最初に行う新嘗祭である大嘗祭の中心的儀礼について、新帝が大嘗宮の内陣におかれた布団にくるまる、皇祖神と寝所をともにすることで天皇となる、というような解釈を示されました。

 それは私が拙著のなかで、あるいは講演で、米と粟の新穀を神前に捧げ、みずから食される食儀礼という説明とはまったく一線を画するものです。

平成の大嘗宮@大文社寺建設


 教授の見方が何を根拠にしているのか、分かりませんが、私は否定も肯定もしませんでした。誰も見ていない宮中の奥深い聖域で、天皇が皇祖神と相対峙して行われる秘儀が宮中祭祀であり、したがって、たとえ内輪の講演会であっても、天皇が具体的に何をなさるか、を根掘り葉掘り追究することは祭祀の意義に反すると考えるからです。

 拙著に書いてあるように、食儀礼という私の理解は元宮内省掌典・八束清貫の解説に基づいていますが、掌典職OBが公にしている以上のことを申し上げるわけにはいかない、と私は考えたのでした。

 しかし、どうもそれだけでは十分ではない、と思い直し、今日はもう少し踏み込んで書いてみます。誤解がひどすぎる、と思うからです。

▽2 折口信夫の真床覆衾説


 教授と同じような指摘を75年前にした人物がいます。民俗学者として、あるいは歌人として名高い折口信夫です。

『折口信夫全集』には何編か、大嘗祭の儀礼に言及した論考や講演録が載っています。

 たとえば、昭和9(1934)年12月の「神葬研究」に掲載された「上代葬儀の精神」(全集第20巻所収)には、概要、次のようなことが書かれています。

 ───大嘗宮にお衾(ふすま)が設けられ、鏡やお召し物、靴があるのは、先帝およびご祖先の亡骸がそこにあると考えられているからである。死という観念のない昔は、新帝はお衾に入られたに違いない。いまはどうか分からないが、昔はお衾に入られて、鎮魂の歌、諸国の国ぶりの歌をお聞きになっている間に、天皇の魂がつく。廻立殿(かいりゅうでん)のお湯をお召しになると昔のことが流されて、生まれ変わったと同じことになる。

 古代人は、他界から来てこの世の姿になるには何かあるものの中に入っていなければならない。ものがなるためにはじっとしている時期が必要だ、と考えた、というのが折口説の前提です。

 物忌みといって籠もるのは、布団のようなものをかぶってじっとしていることであり、大嘗祭の真床覆衾(まどこおぶすま)がそれである、と折口は考えるのです。

 大嘗宮に設けられた神座が八重畳のうえに坂枕をおき、覆衾をかけた寝座であることから、折口は、天孫降臨に際して瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が真床覆衾にくるまって降りてこられたとする神話と連関させ、新帝が覆衾にくるまって天皇としての新たな生命を得る儀式がかつてあったのではないか、と想像しているのです。

三浦周行『即位礼と大嘗祭』から

▽3 秘儀を暴露する自費出版の中身


 折口は、いまは行われているか分からない。いまは行われていなくても、昔は……、と推論しているのですが、私の先輩でもある教授の場合、新帝が先帝の遺骸に添い寝するという、オカルト的なことがいまも行われているかのような口ぶりでした。

 しかし、それはまったく根拠がない、と私は考えています。天皇の秘儀という前提に、折口ばりの想像が加わり、おどろおどろしげな空想が拡大した結果であろう、と私は推理しています。つまり「秘儀」の独り歩きです。

 むろん、かくいう私自身、他の人と同様に天皇の祭祀を見たことはないのですが、見てもいないのに、折口説を否定するのは根拠があります。それは平成の御代替わり後に起きたある事件です。

 当時、大嘗祭に関するおびただしい数の一般書や研究書が発刊されたのに混じって、祭祀の生々しい実態と本質を白日の下にさらす書籍が、祭祀の専門家によって自費出版されたのでした。宮内庁は慌て、交渉の末、関係するページをカットすることで、合意が成立し、出版の継続が図られたようです。

 ドタバタ劇のあと、私がご本人から購入した150ページほどの書籍は、2カ所にわたって数ページが切り取られていました。ご本人は電話の向こうで「それでもいいか」と確認され、私は承知で購入したのです。

 宮内庁は何を慌てたのか、この何ページかにその謎が隠されているはずです。つまり、公開されるべきではない、大嘗祭の「秘儀」たる部分が描かれているということになります。

 しかし、失われていたページを探し当て、勢い込んで読んだ私は驚きました。そこに書かれていたのは、何のことはない、神が依り着く神籬(ひもろぎ)の図や天皇が神前に神饌を捧げる作法、神饌の配置図などだったからです。

▽4 人が見ないところで行われる祭祀の価値


 確かにこれらは「秘儀」とされる祭祀の本質からいって、積極的に公開されるべき情報ではありませんが、どうしてもマル秘にされるべきかといえば、必ずしもそうではないでしょう。学問書などにはすでに公にされているはずです。

 むろん「真床覆衾」など、どこにも登場しません。

 折口が明らかにしようとしたのは、自分で見たわけではない大嘗宮の秘儀そのものに関することではなくて、古代日本人が考えた霊魂観についてであり、あるいは古代の葬儀についてでした。しかし折口の真床覆衾説は折口の意図するところを超えて、完全に独り歩きしています。

 秘儀、秘祭という言い方がすでに誤解を生みがちです。秘密だといえば、やましいところがあるのではないか、と痛くもない腹を探られます。

 ローマ教皇が司式するバチカンのミサは公開された空間で、多くの信徒が参加し、衆人環視のもとで行われますが、天皇の祭祀はまったく逆です。天皇の祭祀は、隔絶された奥深い聖域で、介添えの女官以外、側近さえ関わることなく、皇祖神と天皇が一対一で行うものです。

@VaiticanNews


 カトリックの秘蹟は公開で行われますが、天皇の秘儀は、見られては困るというのではなく、見ないところで行われるということに価値を見出しているのだと思います。考えても見てください。国と民のためにひたすら祈る祭祀が公衆の面前で行われるとしたら、偽善とも映り、純粋性が保てません。

 ところが、それがなかなか理解されません。大学の先輩である教授がそうだ、ということではまったくありませんが、折口の真床覆衾説は天皇の祭祀を新興宗教まがいの、あるいは淫祠邪教におとしめるような悪意をもって語られる場合さえあるようです。それにまた無邪気なジャーナリズムが飛びつき、曲解と悪宣伝を増幅させるのです。

▽5 京都帝大教授・三浦周行が説明する「神髄」


 蛇足ながら、三浦周行(京都帝国大学名誉教授)の『即位礼と大嘗祭』(大正3年)に、大嘗宮の儀の核心部分、神饌御親供を解説しているくだりがありますので、引用します。

「次に陛下には、倍膳の女官の供え奉る御手水を召されて、みずから神饌をお供えになる。この儀式は、『続神皇正統記』にも『神国無双の大事は大嘗会なり、大嘗会の大事は神膳なり』とあるとおりで、じつに大嘗祭の神髄である。しかし神聖な御儀式だけに、近世はこれを秘密にしてものに記さぬ。登極令でもその御儀は見えぬので、うかがうことはできぬが、古くは『江家次第』や、くだっては『大嘗会神饌仮名記』などにくわしく見えているから、いずれそれらの昔の例を御斟酌になり、掌典や女官らの運ぶ神饌を、倍膳の女官が次々に受け取って神座の前に供し、陛下に御介添え申し上げて、神饌の御親供があるわけであろう。
 それを終わらせられると、御拝礼があって、御告文を奏したまい、つぎに御直会すなわち御相伴の御膳につかせたもうのである」(適宜、編集しました)

三浦は、大嘗祭の神髄は神饌御親供にあること、秘儀として内容を詳述しなくなったのは近年のことであることを明記しています。そして、「御大典の根本精神」は、「皇室のご祖先はじめ、一般臣民の祖先を崇敬され、また一般臣民とともに楽しみたもう大御心を表される」ことだと説明しています。


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