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チベットへの言及なき池田・胡錦濤会談(2008年05月13日)

(画像は創価学会HPから拝借しました。ありがとうございます)


 来日した中国の胡錦濤国家主席が(平成20年5月)8日の夕刻、宿舎のホテルで、池田大作・創価学会名誉会長と会談しました。2人の会談は10年ぶりで、昨日の聖教新聞は再会を大々的に報道していました。

「桂冠詩人」と称する池田氏は、自作の七言律詩を胡錦濤に贈り、その場で中国語で読み上げたと伝えられます。それは偉大なる中国国家を、これ以上ないまでに褒め称えるものでした。

 国は富み邦と和し日々新たなり
 家々は充裕にして感恩深し
 仁政を主施(ほどこ)して王道を行う
 席の暖まる暇(いとま)なきは人民の為なり……


 聖教新聞によれば、胡錦濤はやや紅潮した顔を上げて、笑顔で感激の拍手をし、同席者からも大きな拍手がわき起こったといいます。

 詩の後半は、日本が中国から文化を求め学んできた歴史を振り返り、永遠の友好を歌い上げています。漢詩の行頭の文字を並べると「国家主席胡錦濤」になるという懲りようでした。

 遠来の客を精一杯もてなすのは古今東西に共通する美徳で、池田氏の詩は歓迎の心が十二分に現れています。

◇1 「仁政」とは正反対の「奴隷社会」


 しかし、いまの中国の現実は、池田氏の漢詩とは正反対に、革命の先駆者たちが目指した「大同」(絶対平等主義)の夢はとうに破れ、社会格差は世界最大ともいわれ、奴隷社会と見まごうほどに、社会矛盾が限界点に達しているといわれます。にもかかわらず権力中枢では、相変わらずのすさまじい政治闘争が展開されています。

「仁政」「王道」「人民のため」という美辞麗句は鼻白む思いさえします。何よりも、数ページにわたる聖教新聞の大報道は、くまなく探しても、いま世界が注視するチベット問題への言及がどこにも見当たりません。

 池田氏は会談で、胡錦濤が3年前、「調和世界」の理念を提唱した国連演説を「歴史的」と賞賛し、その一方で、30年前、トインビーと語らい、中国に脈打つ「調和」の知恵を世界に浸透させることが重要だと訴えたことを振り返ったといいます。

 しかし、現実の中国が「調和」どころではないことは、世界中が知っています。

 戦後の日本で、多くの苦難に遭いながらも、信徒数1000万人にものぼる大教団を築き上げ、日中国交正常化の舞台裏で貢献し、さらに日本国内のみならず、海外にも学の殿堂を設立した日本の宗教指導者は池田氏以外にはありません。非暴力による平和の提唱は、ガンジー、キング牧師と並び称されると聖教新聞はたびたび報道しています。

◇2 弾圧の張本人と握手を交わす


 しかし、同じ仏教徒のチベット人が血なまぐさい弾圧を目の前で受けているのに対して、池田氏はなぜ沈黙するのでしょうか。非暴力運動でノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマに手をさしのべるのではなく、弾圧の張本人を握手を交わし、持ち上げるのはなぜなのでしょうか。

 ちまたではノーベル平和賞受賞者候補といわれる池田氏です。ダライ・ラマと胡錦濤の会談をセットするぐらいのことは雑作もないことのようにも思いますが、無理なのでしょうか。

 かつての日本には、中国革命の父・孫文らを支援し、朝鮮やインドの独立に協力し、中央アジアからのイスラム亡命者たちを保護した在野の大指導者がいましたが、いまはどこにも見当たりません。


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