市有地内神社訴訟で最高裁が憲法判断か?(2009年9月17日)
最高裁大法廷がどうやら来春にも、政教分離問題に関する重要な憲法判断を示すことになりそうです。
このメルマガの読者ならご存じのように、日本の政教分離政策は異様なダブル・スタンダードが続いています。つまり、こと神道に関しては完全分離主義、厳格主義が押しつけられ、それ以外の宗教については、ゆるやかな分離主義、限定分離主義に任されています。
たとえば、憲法89条は、宗教団体のために公金を支出したり、公有財産を利用させることの禁止を明文化していますが、実際には、東京都慰霊堂では年2回の慰霊法要が仏式で営まれ、長崎では県をあげて教会群の世界遺産登録運動が展開され、首相官邸ではイスラム行事「イフタール」が行われています。
津地鎮祭訴訟の最高裁判決によれば、政教分離規定の本来的目的は、政教分離そのものではなく、信教の自由の制度的保障にあるとされています。国家と宗教との関わり合いをまったく許さないというのではなく、目的と効果が限度を超えない範囲では許されるという考え方です。
したがって上記の事例は合憲であり、訴訟を起こそうというような人は聞きません。
ところが、まさに津地鎮祭訴訟がそうであったように、こと神道・神社のこととなると完全分離主義が頭をもたげてきます。北海道砂川市の市有地内にある小さな神社が違憲かどうか、が争われた訴訟はその典型でした。
▽1 市発祥の地に鎮まる最古の鎮守
この神社は砂川市空知太(そらちぶと)にある空知太神社です。札幌の北東約70キロ、北隣の滝川市との境を流れる空知川の左岸に位置し、『砂川市史』によると、市発祥の地に鎮まる、この地方では最古の神社で、明治の開拓者たちはかならずこの神社に参拝し、成功を祈願したといわれます。宗教法人ではない、神職もいない、村の鎮守です。
この小さいながらも、じつに由緒正しい神社が訴訟問題に巻き込まれたのは、地元紙の報道によると、10年前のことでした。「市有地に神社があるのは政教分離違反」として公開質問状と抗議文が市に提出されたのが発端で、平成16年春、神社の撤去を求める住民訴訟が札幌地裁に起こされます。
札幌地裁は18年3月、「市有地を町内会に使用させ、宗教施設を所有させているのは特定の宗教を援助・助長・促進するもので違憲」などとする判断を示し、撤去を勧めました。二審の札幌高裁も19年5月、「市が町内会に祠などの撤去を請求しないのは違憲」との判決を下しました。市側は「会館建設で宗教性が失われている」「市有地利用の目的はもっぱら世俗的」などと主張しましたが、「同神社は宗教施設」「施設での神式行事は宗教的行為」と認定されたのでした。
判決はいずれも目的効果論に立ち、公機関の宗教との関わりが全面禁止されているわけではないと断りつつ、実質的には国家の宗教的中立性ではなく、無色中立性を求める絶対分離主義に近い厳格な判断をしたようです。
▽2 違憲訴訟を起こしたキリスト者
話はずれますが、面白いのは、キリスト者の反応です。
キリスト教専門のメディアによると、二審判決のあと、プロテスタント教会が組織する日本キリスト教協議会(NCC)の靖国問題委員会が、砂川市長に上告しないよう要求する声明を発表したのでした。
違憲訴訟を起こした原告の1人はキリスト者で、平和遺族会の代表者といわれます。NCCの声明は靖国問題委員会から出されました。靖国神社反対運動を展開してきた人たちが、靖国神社とは直接結びつかない公有地内の村の鎮守の問題を取り上げ、訴訟に血道を上げる背景には、「公有地内の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」という発想があるからのようです。
キリスト者たちが靖国問題にこだわる理由は、戦前の「国家神道」が自分たちキリスト者の信仰を脅かしたと認識し、その苦い経験から「国家神道の亡霊」が目を覚まし、シンボルとしての靖国神社がふたたび国家と結びつくことに、強い不安と警戒感を抱いているからとされますが、その歴史理解も妥当性に欠け、ためにする論理に見えます。
しかしそれよりも私が理解に苦しむのは、空知太神社の裁判のように、小さな祠(ほこら)だろうが、お地蔵さまだろうが、庚申塚(こうしんづか)だろうが、公有地にはいっさいの宗教施設も憲法の政教分離原則から認められず、撤去されるべきだという、いわゆる絶対分離主義が司法判断として確定することになると、キリスト教自身の首を絞める結果になるということをキリスト者自身はどう考えているのか、です。
▽3 今年12月に弁論、来春に判決
たとえば、これも何度も書いてきたことですが、岩手県奥州市(旧水沢市)にはキリシタン領主・後藤寿庵の館跡があり、昭和初年度に建てられた廟堂が置かれています。いまは市有地で、地元のカトリック教会が主催する大祈願祭が行われ、市長が参列しています。長崎市には戦後、市有地内に宣教団の手で二十六聖人記念館と記念碑(レリーフ)が建てられました。その後、市に寄贈された記念碑では毎年、野外ミサが行われているようです。
やはりカトリックの例ですが、昨年11月、長崎では188人の殉教者の列福式が、3万人の信者を集めて、盛大に行われましたが、会場となったのは県営野球場でした。しかも、式の実行委員長をつとめた高見三明・長崎大司教といえば、政教分離原則はできるだけ厳格に解釈されるべきだ、と主張する厳格主義者です。
「厳格に」というのなら、県営施設を使うべきではありません。キリスト者の論理は支離滅裂で、まったく一貫していません。「兄弟の目にあるちりが見えながら、自分の目にある梁(はり)に気がつかない」(聖書)のです。
もし、小さな祠だろうと何だろうと、すべて宗教施設であり、公有地内にあるならば違憲で撤去されるべきだ、という絶対分離主義の解釈・運用が正しいとするなら、影響は神社にとどまりません。公共の斎場、墓地、追悼式など、ことごとく違憲であって、認められない、ということになります。それは無宗教国家への道であり、宗教の価値を認める憲法に反します。
そんななかで、最高裁第3小法廷(藤田宙靖[ときやす]裁判長)は今年4月、もう1つの市有地内神社に関する政教分離訴訟をふくめて、審理を大法廷に回付し、大法廷で憲法判断が示されることになったのでした。
そして、昨日、大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は双方の主張を聞く弁論期日を12月2日に指定しました。メディアは「判決は来春にも言い渡される見通し。政教分離に関し、憲法判断が示される可能性がある」と伝えています。
果たして大法廷は最終的にどんな判決を示すのか。気になるのは、奇しくも期日の指定が新政権発足と重なったことです。新政権下にあって司法の独立を保ち、公正な判断を示せるかどうか。ことと次第によっては、靖国問題、皇室問題にも大きな影響を与えることになるでしょう。
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