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全国天満宮の被災地支援リポート──宮司みずから支援物資を届ける(2011年04月17日)

(画像は内閣府HPから拝借しました。ありがとうございます)


 巨大地震発生以後、メディアは休むことなく、千年に一度ともいう大震災を追い続けていますが、逆にほとんど取り上げられないテーマの1つに宗教界の救援活動があります。

 たとえば、太宰府天満宮、北野天満宮、大阪天満宮、道明寺天満宮、湯島天満宮、亀戸天満宮、防府天満宮、潮江天満宮など、全国に約1万社あるといわれる、学問の神様・菅原道真公をまつる天満宮、天神様の全国組織・全国天満宮梅風会の活動です。

 愛知県岡崎市・岩津天満宮の服部宮司さんのリポートをもとに、活動の一端をお伝えします。

▽1 イスタンブールで大震災を知る


3月11日。トルコのイスタンブールで、震災発生のニュースを知った。研修旅行の最終日だった。お悔やみとお見舞いを申し上げる。

3月12日。NHK・BS放送が被害状況を次々に映し出している。同行する被災地の神職が気をもんでいる。

3月13日。帰国の便にはトルコのレスキュー隊が同乗していた。

3月14日。連日の報道で甚大な被害状況が分かってきた。とくに原発事故は被災者に追い打ちをかけている。マグニチュード9.0の大地震とすさまじい津波で日本の原発安全神話は崩れた。一刻も早く、収束に向けた対応を、官民一体で進めてほしい。

3月15日。神社界では復興支援のため、義援金が呼びかけられた。お宮でも社頭募金を開始させた。

 その夜遅く、富士宮市を震源とする震度6強の地震があった。当地は震度3だった。そのうち来るぞ、と思っていたところだった。

3月16日。陛下のビデオ・メッセージが発表された。陛下の「無私」のお心がひしひしと伝わってきた。

 被災地の盛岡では、親しくする神社の宮司さんが県内を駆け巡り、若い神職たちと支援物資を届ける準備を進めている。そのブログには言語を絶する光景が載っている。

▽2 被災地から切々たるメッセージ


3月19日。神社庁支部で伊勢神宮の大麻頒布終了奉告祭が行われたのに合わせ、震災復興の祈願祭が行われた。

 被災状況はメディアを通じて伝えられているが、どうしても間接的で、部分的でしかない。今すぐ現地へ行こうとも思うが、それもかなわないのはいたたまれない。

3月21日。春季皇霊祭の遥拝をすませると、境内で遅咲きの八重紅梅が満開なのに気づいた。心が安らぐひとときである。

3月23日。困窮する福島県の神社庁から切々たるメッセージが届いた。「県民は政府と県当局に対する不信感と怒りを極度に募らせております。県民の恐怖感と絶望感もまた極限に達しております」。

3月25日。神社の例祭をご奉仕した。大震災の復興を合わせて祈願した。

3月30日。被災地・宮城県気仙沼市の神職から葉書が届いた。ご無事で何よりだった。文面から陛下のお言葉が大きな力となっていると実感した。

▽3 短期間で集まった支援物資


3月31日。「新学期が始まるのにランドセルや文房具を失った子供たちがたくさんいる。天神様のご支援を願いたい」。被災地・岩手の神職からの依頼を受け、全国の天満宮が立ち上がった。8日までに届くようにしてほしいという。

4月2日。境内の桜が開花した。被災地の復興を祈った。

4月4日。大阪から突然、荷物が届いた。ブログを読んだ読者が支援物資を送ってくださったのだ。かわいらしい絵柄の色鉛筆だった。

4月5日。多くの方々から支援の学用品が届き、職員総出で仕分けが始まった。

4月6日。全国の天満宮の呼びかけで、短期間ながらたくさんの支援物資が集まった。

 ランドセル252個。
 鉛筆13,388本。
 色鉛筆1,503本。
 色鉛筆セット2,252セット。
 ノート2,221個など。

4月7日。早朝、お祓いのあと、トラックで神社を出発。名誉宮司が寒いなか、見送ってくれた。盛岡へ向けて、Y権禰宜と交替でハンドルを握る。

 穂高連峰、妙高山、磐梯山を眺めながら、夕刻、盛岡八幡宮に到着。職員の方々のお手伝いで、支援物資を参集殿に運んだ。

 その夜、震度6強の余震で、停電。ほとんど暗闇の寒い夜となった。

▽4 想像以上の風評被害


4月8日。信号の点いていない盛岡市内をおそるおそる走り、八幡宮へ。参拝後、F宮司に挨拶。被災状況などをうかがう。「沿岸では、高台にある神社は被害が少ないが、氏子は何もかにも津波で持って行かれた」。復興は長い道のりと実感した。

 昨夜の余震で東北自動車道の一部区間が通行止めになったので、国道4号線を南へひた走る。沿道の店はほとんど閉まり、コンビニには長蛇の列ができていた。ガソリンスタンドは停電のため休業。高速のPAでは給油待ちの車が10列ほども並んでいた。

 国道4号線も信号が点いていない。復旧工事で段差が無くなったのもつかの間、余震でふたたび段差が生じ、そのためどこもかしこも大渋滞である。

 夕刻、仙台を抜け、岩沼へ。午後7時半過ぎ、白石の鎌先温泉にたどり着いた。さすがに疲れた。岩沼、仙台のホテルは復興支援の滞在者でどこも満室だった。

4月9日。福島市の稲荷神社へ。T宮司から県内の状況を聞いた。浜通では神職も氏子も集団疎開の状態だという。風評被害も想像以上だった。支援の継続を約束した。

 磐梯から北陸道、中央道を通り、午後9時前、神社に帰着した。

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