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宮内庁内に2つの「女性宮家」創設論あり──長官と前侍従長では目的意識が異なる(2012年1月8日)


 ひきつづき、いわゆる女性宮家創設について書きます。

 過去の例にない「女性宮家」なるものを、いったい誰が、どういう意味合いと目的で、いい出したのか、を振り返ってみたいと思います。

 というのも、議論にかなりの混乱が見られるからです。

 これまでご紹介してきたように、「AERA」昨年12月5日号の記事では、ご公務をになう「皇室の人手不足」が「女性宮家」創設論のきっかけとされていましたが、「週刊朝日」昨年12月30日号に掲載された岩井克己朝日新聞編集委員の記事では、ずばり「皇位継承の問題」とされています。


 そればかりではありません。岩井記者が「女性宮家」創設の提案者として記事に登場させた渡邉允前侍従長(現在は御用掛)は、皇位継承問題とは「別の次元の問題」として、「女性宮家」創設の必要性を自著『天皇家の執事』文庫版の後書きで訴えています。


 これでは何のための「女性宮家」創設なのか、が不明で、まともな議論はできません。

 というわけで、前号と同じように、当世随一の皇室ジャーナリスト・岩井克己朝日新聞編集委員の記事を参考にしながら、「そもそも」を考えてみることにします。

 結論からいうと、宮内庁内部に2つの異なる「女性宮家」創設論があり、これに政治家やマスメディアの思惑がからまり、議論を複雑化させているように私には見えます。


▽1 岩井克己朝日新聞記者の解説


 岩井記者はここ数年、雑誌「選択」に「皇室の風」という連載を書いています。平成22年1月号は「秋篠宮の発信」で、前年秋に「天皇と秋篠宮が皇室の将来について、やや踏み込んだ発言をした」ことを取り上げ、次のように書いています。

 20年11月、陛下はご体調を崩されました。同年暮れ、羽毛田長官はその原因について、「皇族の数が減っていくという皇族の問題など皇室の将来への心配」をあげました。

 翌21年11月6日、御即位20年の記者会見で、長官の説明について問われた陛下は、「皇室の現状については質問のとおり」と言明しました。

 それから半月後の同月25日、秋篠宮殿下はお誕生日会見で皇位継承問題について語られたのでした。岩井記者は、「独得の曖昧な言い回しで真意は分かりにくい」というご発言から、お考えの「読み解きを試みて」います。

平成21年のお誕生日会見@宮内庁


 その「読み解き」の過程で、岩井記者は次のご発言に注目します。

「皇室の在り方に関連して、皇族の数が今後減少していくことにより、皇室の活動もしくは役割が先細りするという意見を聞くこともあります。しかしその一方で、皇族の役割を明確に規定したものはありません。『公務』という言い方がされますけれども、いわゆる規定のある公務というものは、ないと考えていいんだと思います。従いまして、そういう規定がはっきりしないということから、なかなかその辺りのことを言うことは難しいように感じます。
 それで、これはまたまったく別の視点になりますけれども、皇族の数が今後減ることについてですけれども、これは確かに今まで皇族が行っていたいろいろな仕事、それから役割が、だんだんそれを担う人が少なくなるということはありますけれども、国費負担という点から見ますと、皇族の数が少ないというのは、私は決して悪いことではないというふうに思います」(斎藤吉久注。岩井記者による引用は宮内庁発表を適宜編集しています)

 このあと「差し迫る問題」して、三笠宮系の5人の女王たち、秋篠宮家の2人の内親王、皇太子家の愛子内親王が遠からず皇籍を離脱することだと指摘し、秋篠宮殿下の回答は女性皇族の皇籍離脱を「ある程度、容認する姿勢を示唆したと受け取れる」と解釈を加えています。

 そして、「このまま順次、女子がいなくなれば、先々、男系男子が続かなくなったときに、女性・女系に切り替えようにも対象者がいなくなってしまう」という「危機感から、側近のなかには『男系か女系容認かの論議は棚上げして、早く一代限りの女性宮家を認めるべきだ』との主張も出ている。これは、悠仁親王を二人の姉や従兄弟の愛子内親王ら男系女子が宮家として支えながら悠仁親王に男児を期待するという繋ぎ案だ」というように、「女性宮家」創設案について、解説しています。


▽2 民主党マニフェストと有識者会議報告書


 岩井記者の記事からは、(1)議論の発端は羽毛田長官の発言にある、(2)皇族の数の減少は陛下も秋篠宮殿下も認識しておられる、(3)秋篠宮殿下はご公務問題として語られている、(4)ところが、岩井記者は皇位継承問題としてとらえている──ということが受け取れます。

 しかし、議論の経緯はこれで十分なのでしょうか?

 もう一度、整理します。

 いわゆる女性宮家創設問題が昨年末に浮上したことについて、ここ数週間の報道では、昨年10月5日に羽毛田長官が野田首相に所管事項を説明したときに提案したとか、11月の長期ご入院がきっかけだとか、伝えられています。

 岩井記者の記事によれば、そんな急な話ではないということになります。けれども、当メルマガの読者ならお気づきのように、ことの発端はさらにもっと遡れそうです。

「AERA」12月5日号は、「女性天皇や女性宮家の創設を認める皇室典範の改正は、小泉政権の時代にも検討されていた」と書いています。つまり16年暮れに開催が決まった皇室典範有識者会議の意味なのでしょう。

 けれども正確には、それ以前に、当時の野党である民主党が、党をあげて典範改正を推進していました。16年夏の参院選では、「『日本国の象徴』にふさわしい開かれた皇室の実現へ、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とする」との方針がマニフェスト(政策各論「未来へ向かう創意」)に掲げられていたことを指摘しておく必要があります。

民主党のマニフェスト〈http://archive.dpj.or.jp/policy/manifesto/images/Manifesto_2004.pdf〉

 民主党の女性天皇容認の発想は、「開かれた皇室」論および男女平等論のようです。

 17年11月に皇室典範有識者会議の報告書が提出され、女性皇族が婚姻後も皇籍を離脱しないという考えが示されました。

有識者会議の報告書を受け取る小泉総理@官邸

 しかし同会議のテーマは、あくまで皇位継承問題でした。

「非嫡系継承の否定、我が国社会の少子化といった状況の中で、古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することは極めて困難であり、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要であるとの判断に達した。
 古来続いてきた男系継承の重さや伝統に対する国民の様々な思いを認識しつつも、議論を重ねる中で、我が国の将来を考えると、皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠であり、広範な国民の賛同を得られるとの認識で一致するに至った」(「結び」)

 このため、「現行制度では、皇族女子は天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れることとされているが、女子が皇位継承資格を有することとした場合には、婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」(「3、皇族の範囲」)とされています。

 安定的に皇位を継承することが象徴天皇制にとって重要であり、そのためには皇位継承資格者を女子や「女系の皇族」にも拡大する必要がある、という論理で、ここには「女性宮家」という用語は登場しませんが、(1)皇族女子は婚姻後も皇族身分にとどまる、(2)その配偶者や子孫が皇族となる、という「女性宮家」創設論と共通する要素がうかがえます。

 有識者会議の報告書が提出されたあと、鳩山由紀夫幹事長(当時)は「開かれた皇室への思いを大事にすべきで、典範の改正も視野に入れて、国民の側に立った、国民が期待する、国民の象徴としての天皇、天皇家のあり方を議論していただきたい」と発言しています。


▽3 羽毛田宮内庁長官の執念



 しかしそれから数カ月後、秋篠宮妃殿下のご懐妊が明らかになり、「AERA」の説明にもあるように、翌18年9月に悠仁親王殿下が誕生されたことや政局が混乱したしたことで、女性天皇・女系継承を認める議論は棚上げとなりました。

 沈静化したはずの議論に、まっ先に火をつけたのは、羽毛田長官でした。

 長官は、寛仁親王殿下が「文藝春秋」18年2月号などで、皇位の男系継承維持を希望する発言をなさると、「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」と批判し、悠仁親王殿下が誕生されると、「皇位継承の安定は図れない」などと、女性天皇のみならず、女系継承に道をひらく皇室典範改正への執念を示しました。


 長官の執念がひときわ際立ったのは、20年の陛下の御不例でした。

 同年11月に陛下がご体調を崩されました。名川良三・東大教授は「急性胃粘膜病変があったのではないか」と説明しました。精神的、肉体的なストレスによって急激に生じ、適切な処置がなされれば比較的短期間のうちに良くなる、とのことでした。

 ところが、羽毛田長官は会見で、「天皇陛下には、かねて、国の内外にわたって、いろいろと厳しい状況が続いていることを深くご案じになっておられ、また、これに加えて、ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子を拝しており、このようなさまざまなご心労に関し、本日は私なりの所見を述べる」と解説しました。

 急性病変の原因が「ここ何年かにわたるご心労」のはずはありませんから、まったくの勇み足というべきです。

 けれども長官には援軍がいました。メディアです。

 マスコミは「長官は陛下が皇位継承問題で悩んでいることをはじめて明らかにした」「ストレスの中心に皇位継承問題があるとの見方を示した」「皇位継承問題とともに、皇室の現状にも気にかけている点があるとの見方を示した」と報じたのです。陛下が女性天皇・女系継承容認の皇室典範改正を望んでいるかのように解説した記者もいました。

 陛下のご公務ご負担軽減が大きなテーマとなったのは、この御不例のあとでした。

▽4 長官は「女性宮家」創設を提案したのか



 その後、羽毛田長官は、民主党政権の発足を直前にひかえた21年9月、皇室典範の改正問題に取り組むよう鳩山新内閣に要請する意向を、記者会見で表明しています。「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要がある、と申し上げたい」

 民主党の「開かれた皇室」および男女平等推進論と羽毛田長官の皇室継承論とのタッグマッチのように見えますが、正確にいえば、いずれも「女性宮家」創設論ではありません。

 岩井記者の前出「週刊朝日」昨年12月30日号の記事によれば、羽毛田長官は歴代首相に所管事項を説明するたび、女性皇族の皇籍離脱と宮家消失の恐れについて「危機感を訴えてきた」のでした。

 そして、昨年10月、野田首相に対して、「女性宮家」創設を「火急の件」として提案したと伝えられていますが、岩井記者によれば、長官は強く否定しているようです。

 推測するに、長官はあくまで従来通り、皇位継承の安定性を目的として、女性天皇・女系継承容認のための皇室典範改正を提案したのかも知れません。

 その提案には、有識者会議報告書にあるように、皇族女子が婚姻後も皇位継承資格者として皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要があることが含まれ、岩井記者が述べているように、「眞子さまが結婚して皇室を離れてからでは、佳子さまと姉妹で扱いが違うことになる」と「緊急性」を説明したのでしょう。

 それが、「女性宮家創設」「火急の件」という表現でメディアが報道したということではないでしょうか。つまり、羽毛田長官自身は実際、「女性宮家」創設という言い回しで提案したのかどうか。

▽5 渡邉前侍従長の「週刊朝日」対談


「女性宮家」創設案のもうひとつの出所は、前回のメルマガで、ご紹介した渡邉前侍従長です。

 岩井記者の「週刊朝日」の記事によれば、「女性宮家創設案は渡邉氏が数年前から『私案』として度々公言している。週刊朝日での筆者(岩井記者)との対談でも表明していた」のでした。

 渡邉前侍従長と岩井記者との対談は、同誌22年12月31日号に載っている「渡邉允前侍従長に聞いた 天皇陛下喜寿の胸の内」(構成=本誌・永井貴子)を指しているのでしょう。さっそく読んでみることにします。

 対談では冒頭、渡邉氏の皇室との関わり、平成の皇室像についての感想が述べられたあと、ご公務のご多忙ぶり、特定の分野だけ減らすことの難しさなどが述べられ、最後に皇位継承の問題が岩井記者によって取り上げられました。

 岩井記者が「皇族の数は依然として先細りしていきます。女性・女系天皇を認めるべきだか、旧皇族の復籍を主張する意見も後を絶ちません」という問いかけに対して、前侍従長は次のように語っています。

「現行の皇室典範によれば、皇位は次々代の悠仁さままで継承されます。ただ、悠仁さまが天皇のなられるころには、典範の規定によって、女性皇族が結婚して皇室を離れられ、悠仁さまお一人だけ残られるということになりかねない。国と国民のための皇室のご活動が十分になされなくなる恐れがあります。
 その事態を避けるために、私は、女性皇族に結婚後も残っていただき、悠仁さまを支えていただくようにすることがあると考えています」

 岩井記者が「そうなると、『なし崩しで女性・女系を認めるのか』と反発する人も出てきそうです」と畳みかけると、前侍従長はこう答えます。

「いえ、皇位継承の問題は、次の世代に委ねることにして手を付けず、当面の措置だけを執るという考えです」

 さらに岩井記者が「陛下もそうしたお気持ちか」とたずねると、前侍従長は「個人的な考え」と言い切っています。

 また、岩井記者の「陛下は『将来の皇室のあり方については、皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要』と述べられました。『将来の皇室のあり方』のなかには皇位継承をどうするのかも含まれるのではありませんか」という問いには、次のように答えています。

「陛下は、皇位継承に関わる制度的な問題ではなく、皇室の活動や国民との関わり合い方などのことをおっしゃっているのではないかと思います」

▽6 「女性宮家創設」を言い出した前侍従長


 岩井記者は渡邉前侍従長が数年前から「女性宮家」創設を提案してきたと書いていますが、この対談で前侍従長が述べているのは、(1)皇室のご活動が十分に確保されるように、皇族女子が婚姻後も皇族にとどまり、(2)悠仁親王の時代を支えること、(3)皇位継承問題とは別の当面の措置であること、(4)陛下がおっしゃる将来の問題とは皇室のご活動に関する問題と理解されること、の4点です。

 前侍従長は、岩井記者の理解とは異なり、少なくとも対談の記事では、「女性宮家」創設については述べていません。

 もう1点、付け加えると、「何年もの間、陛下は皇統の問題などを憂慮されている」というのが羽毛田長官の理解で、そのための女性天皇・女系継承容認論ですが、前侍従長はこれとは別の理解です。

 前回のメルマガで取り上げたように、昨年12月に刊行された前侍従長の著書『天皇家の執事』文庫版の「皇室の将来を考える──文庫版のための後書き」では、明確に「現在、それ(皇位継承の問題)とは別の次元の問題として」と前置きしたうえで、「急いで検討しなければならない課題」として、皇室典範第12条「皇族女子は、天皇および皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」の改正について、次のように述べています。


「もし、現行の皇室典範をそのままにして、やがて、すべての女性皇族が結婚なさるとなると、皇室には悠仁さまお一人しか残らないということになってしまいます。
 皇室は国民との関係で成り立つものです。天皇皇后両陛下を中心に、何人かの皇族の方が、両陛下をお助けする形で手分けして国民との接点を持たれ、国民のために働いてもらう必要があります。そうでなければ、皇室が国民とは遠く離れた存在となってしまうことが恐れられます。
 そこで、たとえば、内親王様が結婚されても、新しい宮家を立てて皇室に残られることが可能になるように、皇室典範の手直しをする必要があると思います」

 主張の内容は「週刊朝日」の対談と同じですが、ここではじめて前侍従長は「宮家創設」という用語を使っています。しかし前侍従長の関心はあくまで「皇室のご活動」の確保であって、皇位継承問題ではありません。

 ついでにいうと、前侍従長の「女性宮家」創設の主張は非論理的です。皇室のご活動を確保するためなら、皇族にとどまる必要も、新宮家を創設する必要も無いからです。臣籍降下した元皇族が社会的活動をなさっている例は少なくないし、寛仁殿下は三笠宮家の一員のままご公務をになわれています。

 憲法に規定されている天皇の国事行為ではない、ご公務とはそもそも何か、という本質論も抜けています。歴史的にいえば、社会的に活動されることが皇室の本文ではありません。ご公務問題を理由とする前侍従長の「女性宮家」創設論は、皇位継承問題の難しい議論を避けるための隠れ蓑ではないか、とさえ疑われます。

 いったいなぜ、前侍従長は「女性宮家」などと言い出したのか?

▽7 読売新聞の「スクープ」


 新聞メディアが「女性宮家」を使い始めたのもこのころです。

 読売新聞が「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」と、羽毛田長官の野田首相への提案を「スクープ」したのは昨年11月25日のことでした。渡邉前侍従長の文庫本が世に出る直前です。


 同紙の小松夏樹編集委員は、「『女性宮家』の創設は、未婚の皇族女子に結婚後も皇室に残っていただくよう皇室典範を改正することを意味する。それは、安定的な皇位の継承という課題と表裏一体のものである」と解説しています。

 先述したように、寛仁殿下の例を見れば一目瞭然、結婚後も皇族としてとどまることと宮家独立は同義ではありません。にもかかわらず、同義であるかのように記事がつくられたのはなぜでしょうか。なお、岩井記者の「週刊朝日」の記事によれば、羽毛田長官は「女性宮家」創設を野田首相に提案したという報道を否定しています。

 ともあれ、読売新聞が伝えたのは皇位継承問題としての「女性宮家創設」であり、女性天皇のみならず女系継承を認める皇室典範有識者会議報告書への先祖返りでした。記事は同時に、2つの「女性宮家」創設論が、驚くなかれ、宮内庁内に存在すること、つまり、庁内の不協和音を浮き彫りにしました。議論が混乱するのは当然です。

 政府は来月から有識者のヒヤリングを行い、広く国民の意見を募る意向と伝えられますが、少なくともまず宮内庁内の意見を統一させてから、議論を始めるべきではないでしようか。


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