皇族と国民の違いが分からない──皇室ライター・つげのり子氏「皇室の婚姻」論を読んで(令和6年7月12日)
jbpressに、つげのり子氏の「結婚相手の変遷にみる皇室の『幸せの定義』、やんごとなき人々は選ばれし人と結婚しなければならないのか?」が載っている。〈https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/81974〉
皇室ライターを名乗るだけあって、皇室の歴史をよく学んでおられるが、基本的な誤りが否めないと残念に思った。皇族と国民の違いがご理解いただいていない。
たとえば、冒頭、憲法24条が引用されている。「婚姻は両性の合意のみによって成立」とある、誰でも知る条文で、これがつげ氏のエッセイの底流を流れる考え方である。
しかし、同条文は「第3章 国民の権利および義務」にあることを、つげ氏は十分に理解できているだろうか? 皇族は「国民」なのか、「憲法」が定める「国民の権利」は「皇族」にも適用されるとお考えなのだろうか?
近代以前について「政略結婚」と単純化するのもいかがなものだろうか? 『皇室制度史料』は、古代、内親王のお相手は同じ皇族に限られていて、やがて徐々に拡大されていったことを説明しているが、それらは「政略」ではなくて、「天皇無私」の大原則によるものだと思われる。
〈「眞子内親王殿下の婚姻について『皇室制度史料』から考える」 https://note.com/saito_syse/n/n0e752575b9ca〉
先帝陛下の婚姻が「開かれた皇室」の象徴であるかのように理解するのも誤りかと思われる。「テニスコートの恋」が側近たちによって周到に準備され、お膳立てされた結果であることが、知られているからである。
〈「先帝『テニスコートの恋』と眞子内親王『ICUの恋』との雲泥の差。変質した宮内庁」 https://note.com/saito_syse/n/n96a6b2f72163〉〈皇室におけるラブ・マリッジとアレンジド・マリッジ──額田王から「ICUの恋」まで https://note.com/saito_syse/n/n1017e39a52a8〉
結論として、「結婚したいと願う二人の合意さえあれば良く」などということは、あり得ないのである。
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