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「退位」翌日に「即位の礼」を行う根拠は何か?──どこへ行く125代続く皇室の歴史と伝統(2017年12月4日)

(画像は平成29年12月1日の皇室会議。宮内庁HPから拝借しました。https://www.kunaicho.go.jp/about/seido/seido07.html)


 御代替わりの日程について、私は大きな勘違いをしていたようです。しかしそうなると、政府が進める日程は、125代続く歴史的天皇の制度からさらに乖離していく印象をますます強くします。

 前回、当メルマガは、メディアが伝える、「退位」の翌日に「即位」「改元」する日程について、違和感を禁じ得ないと書きました。この「即位」とは皇位の継承を意味する践祚(せんそ)のことだと思っていたら、政府は大胆にも「即位の礼」を行うという考えのようです。

 しかしこれでは、桓武天皇の時代に践祚から日を隔てて即位式を行うようになり、貞観儀式の制定によって践祚と即位を区別するようになった皇室の伝統を完全に裏切ることになりませんか。

 旧皇室典範には

「天皇崩ずるときは、皇嗣、すなはち践祚し、祖宗の神器を承く」
「即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行ふ」

旧皇室典範@国立公文書館


 とありましたが、戦後の混乱期に行われた皇室典範の改正では践祚と即位の区別を反映できず、現行の皇室典範では

「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」
「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」

現行皇室典範@官報(昭和21年1月16日)


 と定められ、「践祚」が消えています。このため平成の御代替わりではさまざまな不都合が生じましたが、混乱はさらに拡大しそうです。


▽1 皇室会議で固まった日程



 先週、開かれた皇室会議によって、今上陛下は平成31年4月30日に「退位」され、翌5月1日に皇太子殿下が「即位」され、新元号に「改元」されるという日程が固まりました。

皇室会議(平成29年12月1日開催)の議事概要
〈https://www.kunaicho.go.jp/news/pdf/koshitsukaigi.pdf〉

 報道によれば、政府は、過去の例を調査し、「退位」「即位」の儀式の中身を決めるとも、宮殿「松の間」で行われる「退位」の新儀式は「退位の礼」と呼ばれるとも、伝えられています。

 つまり、再来年4月末日に「退位の礼」が行われ、翌5月1日に「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」などが行われ、新元号が施行されるようなのです。これは少なくとも千年を超える皇室の伝統に沿うものといえるでしょうか。

 室町時代に一条兼良が書いた『代始和抄』には「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式などあり。これは毎度のことなり」とありますが、今回はどんな退位の儀式が行われるのでしょうか。

代始和抄@国会図書館


 200年前の光格天皇のときには、「日次案」という史料によると、まず光格天皇は桜町殿(仙洞御所)に行幸され、天皇が乗られる鳳輦はふたたび御所に至ります。

 このとき天皇は、剣璽、鈴鎰、大刀契とともに、数百人からなる絢爛豪華な行列を組んで進まれました。この路頭の儀は華麗な極彩色の絵巻物となって記録されており、「桜町殿行幸図」と呼ばれ、ネット上で公開されています。

光格天皇の行幸ののち、新帝となる仁孝天皇が御簾の中の椅子(いし)に着され、宣命使が版に就いて専制一段、群臣が再拝します。節会が終わり、剣璽が新主の御所に渡され、近衛二人が剣璽を取り、新主の御所に至ったのでした。


 こうして文化14年3月22日、光格天皇から仁孝天皇への譲位は行われたようです。

 2日後、光格天皇に太上天皇の尊号が贈られ、9月21日に即位の礼が行われ、「文政」への改元は翌年4月でした。


▽2 剣璽の継承はいつ、どのように行われるのか



 今回、行われる「退位の礼」はどのように行われるのでしょうか。

 1つは皇位とともにある剣璽の渡御です。これこそが皇位継承の核心です。

 光格天皇の場合は、剣璽とともに、いったん仙洞御所に移られ、そこから紫宸殿に行幸になり、新帝に継承されました。平成の御代替わりでは、先帝崩御の当日、「剣璽等承継の儀」が松の間で行われました。

昭和64年1月7日 剣璽等承継の儀(宮殿)@宮内庁
〈https://www.kunaicho.go.jp/50years/h01to10.html〉


 今上天皇の譲位後のお住まいについて検討がなされているようですが、今回はおそらく、仙洞御所への行幸も路頭の儀も行われないのでしょう。「剣璽等承継の儀」は再来年4月末日なのか、それとも翌日なのか。

 2つ目は、上表の礼(揖譲の儀)です。

 一条兼良の「代始和抄」では、「父子にあらずして受禅のときは、皇太子参上して、椅子(いし。平安期、宮廷の座具)につきて上表の礼あり」と記されています。

代始和抄@国会図書館


 父子譲国の場合は揖譲の儀は行われないのが習いですが、後朱雀院から後冷泉院への受禅では行われました。光格天皇の場合も仁孝天皇が椅子に着されたことが、既述したように記録されています。

 今回の「退位の礼」ではどうなるのでしょう。

 3つ目は、即位の礼の日程です。

 平安時代以来、践祚(皇位継承)から日を隔てて、新帝の即位は行われました。平成の御代替わりでは「践祚」が消えましたが、皇位継承から一年の服喪を経て、即位の礼が行われました。

 今回は、「退位」の翌日に「即位の礼」が行われる模様です。その根拠はなんでしょうか。皇室典範は「皇位の継承があったときには、直ちに即位の礼を行う」と定めているわけではないのです。125代続いてきた皇室の歴史と伝統はどこに行ってしまうのでしょうか。


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