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ひとを信頼することのむずかしさと、あえて信頼することの大切さについて

ウチの会社はベンチャーらしく部のエンジニアとデザイナーのほとんどの社歴が半年以内と短く、そこでさかんに言われたり言い合ってるのは「HRT」、つまりお互いに謙虚と尊敬と信頼の気持ちを持ち続けることの大切さである。

でも、これだけ「信頼」が大事といわれてるってことは、逆説的だがそれだけ「信頼」がなりたつのがむずかしい環境ということである…

まず信頼のソースが相手の「過去の振る舞い」だとしたら、つきあいが短い現状はデータが圧倒的に不足してる。

そして長くつきあっていれば信頼はカンタンかというとそうでもなく、人間なので予期せぬ行動や失敗もあれば、モチベーションや体力の低下や家庭の事情もあるから、過去と同じパフォーマンスを発揮したり成長曲線を描くことができない場合もとても多い。

また職務の違いによりお互いの利害が一致せず、時に的外れな期待を寄せたり相手の期待を裏切ってしまうこともたくさんある。

そもそも信頼とは過去のデータによって今と未来について期待することなので、相手に対して勝手に期待をしている状態ともいえ、そもそも不安定で身勝手な概念なのである。信頼にかぎらず信じるということはとてもむずかしく不安定なことなのだ。

神さまが、目に見える形でどーんと実在していたら、「信仰」というコトバも無かったはず…

しかし、人を信頼しないことによるデメリットもまた大きい。

まず、不信状態では、相手の行動や成果物をいちいちチェックしなければならなかったり、相手にタスクを任せられなく自分でタスクを抱え込みがちになる。また、相手の発言のウラをいちいち考えなければいけなくなったりもする。「不信」はとにかくコストがかかるのだ。

また、信頼してない状態では相手が緊張状態におかれイキイキと仕事できないため相手のパフォーマンスが下がり、そしておうおうにして相手を信頼しないとこちらも信頼されないためこちらもパフォーマンスが下がりがちになり、結果チーム全体のパフォーマンスが低下してしまう。

というわけで人を信頼することはとてもむずかしいけど、信頼しないことによるデメリットも大きいため、決定的なことがない限り、あえて信頼してみる(フリをする)のも手だよ、というのが「Team Geek」の教えです。

さいごに、敬愛するイギリスの作家チェスタトンの言葉を引用します。チームとみなさんの会社と家庭と世界に平和が訪れんことを…

愛するとは、およそ愛せないものに愛を注ぐこと
許しとは、許されざるものを容赦すること
信頼とは、信じ難いものを信じること
そして希望とは、すべてが絶望的に見えるときに望みをかけること

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