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長い散歩80日目

2024/8/2 Friday

昨日調べたフェリーの一番早い便で大津島に行きました。
久しぶりにスーちゃんを積んでの船旅です。
徳山港を7:40に出て、大津島には4つの港がありますが、回天記念館のある馬島港に8:24着。着いたら島内を散策しようと思ってましたが、船便に合わせて記念館は8:30に始まります。
知覧もそうでしたが、物見遊山で行くところではありません。
港からしばらくスーちゃんを押して記念館への道を行きます。道の横のコンクリート塀は当時のままだそうです。太陽の灼熱と蝉の音。こんな日に日本は敗戦したんですね。

徳島港を出港し
大津島を目指します。
刈尾港を経由し、馬島港に到着
港にある大津島回天神社 令和になって建立された新しいものです。
知覧のように人は多くありません。

記念館の正面通路には、回天で亡くなった人の名前と出身地のプレートが並んでいます。もうここで身につまされ胸が痛くなります。
回天は航空機による特攻とほぼ同じ、終戦直前の5月ごろから始まったと聞いています。その戦果は知りませんでしたが、三隻の敵艦を撃沈しています。同じと言えば同じですが、飛行機による特攻は、戦闘機に爆弾を抱え敵艦に突撃する、いわば特攻に転用されたものですが、回天は魚雷に人が乗る、まさに必死の専用兵器として開発された人間魚雷です。亡くなった英霊たちに失礼かもしれませんが、あの時代が作ったおぞましい兵器と思います。
記念館の横にレプリカの回転が展示されています。想像以上に大きかったです。これに単身乗り込み、潜望鏡を頼りに敵艦に突撃することを考えると、やはりおぞましい気分になります。
知覧同様、記念館の中は基本的に撮影NGです。回天隊員の遺書や遺品の展示が主で、見ていてつらくなります。

両脇に搭乗員の名前と出身地のプレート
回天 レプリカ 世界に現存は2隻だそうです。
島の沖合は大和最後の停泊地だったそうです。

神風特攻も片道燃料しか積んでいませんでしたが、回天も同様で、敵艦に当たれなかった場合、1時間程度で爆発していたのは自爆だったのではないかと言われています。いろいろな事情があったと言われても、やはり戦争はしてはいけないと改めて思います。

記念館を見て、島を散策します。途中分かれている山道を登ると魚雷見張所跡、その先に展望台があります。
100mおきに標識があり、島の言葉で「なかなかえらいちゃあのお」とか「もうちょっとじゃけえ」と励ましのお言葉が、でも400mの標識には「はあやめるかねえ」と、なかなかの登りなので、勇気ある撤退も必要です。そのまま登る私はいつものとおり汗だくです。
見張所は、もともと大津島に、酸素魚雷の開発、試験の基地があり、試験発射した魚雷を見るための場所だそうです。
その先の展望台にはオブジェがあって海の眺望が広がっています。大和はどこら辺に停泊してたんだろうなぁ。

スーちゃんはお留守番
魚雷見張所跡
展望台のオブジェ オニヤンマがクマンバチを捕まえてました。

山を下りて、今度は回天を海まで運ぶトンネルと訓練基地跡を見に行きました。先ほども書いたように、神風と違い、回天は新兵器、新たに操縦訓練が必要でした。訓練中に水没し亡くなった搭乗員もいるそうです。
ちなみに回天は最大10ノットで78km航行できると記念館で知りました。

頑強なトンネルです。
側面に当時の写真パネルが展示されています。
トンネルから出たところ
回天はここからクレーンで吊り降ろされました。

あとは、13時の便まで島の散策です。
とは言っても、昨日の向島同様小さな島なので、のんびり周ってきました。

誰もいない浜
石が取れるのですかね?
向かいの黒髪島?では大規模採石
十人墓
秀吉の城普請で余った石?

お腹が空いたので、13時の便までに飯を食べたかったのですが、島で唯一の食堂はやってませんでした。
徳山港に戻り、食事をして北九州に近づいておこうと、宇部のネットカフェまで行きました。
シャワーを浴びて一杯やって、調べてみると43日目6月23日に寄ったラーメン屋さんのそばでした。と言うことは町があるわけで、例によってgoogle先生に聞いた「キレイなママのいるスナック」に行きました。気さくなユミママと萩出身アヤカちゃん、長崎出身マリアちゃんと地元と出身地情報と美味しいラーメン屋情報を聞いて帰りました。ありがとう!

からの
宇部ラーメン(ハーフです)

明日はどこに行こうかな。

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