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めんどくさい隣人

うちの店の周りはいちおう形ばかりの地番整理が行われている。区画の移動や切り分けなどはせずに、何丁目何番地何号というスタイルに形の上だけしている、そんな地番整理。

同じ番地に戸建てからアパート、マンション、たいてい10以上の建物があり、おそらく住人は50人を下らない。出身も年齢も仕事も違う人が50人以上、同じ番地で暮らしている。何人か挨拶する人はいるが、お互いのことはあまり知らない。そしてそれ以外の大多数は顔すら知らない。現代社会、首都圏住宅地の、ひとつの典型だろう。

実家から出て以来、ご近所との関係はほぼないままに暮らしてきた。たぶん持ち家じゃない人、子どものいない人の生活はこんなもんである。昨今は「近所にご挨拶などはしないほうがいいです」と不動産屋に言われるような時代である。いまの住まいには十数年住んで、おそらく最古参だが、誰ひとり挨拶に来た記憶はない。そして、ひとりの名前も知らない。

昔は「ご近所づきあいなんてしたくない」と思っていた。こまめに行き来と挨拶をし、裏では陰口と噂話。私のようにちゃらんぽらんな生き方をしている人間にとって、できれば走って逃げたい風習としか言いようがない。

そして、どこにでも必ず「めんどくさい隣人」がいる。異様に噂好きだったり、ゴミの捨て方に超神経質だったり、ちょっとした声や音に毎回苦情を言いに来たりする。町会や自治会の思惑とは正反対に、隣り近所のつきあいを最小限にしようとする世の流れにも、「趣味思考もあわない赤の他人と、何がおもしろくてつきあうのかわからん」と、深くうなずく私である。

さて、今日は商店会の新年会だ。参加申し込みは10数人。今年の年度末まで、まだいくつも残っているプロジェクトへのご協力をお願いしなければ、といまからひそかに準備をしている。

商店街活性化のためと言いながら、「あれをしてくれ」「これを手伝ってくれ」と大きな顔で近寄ってくる私のことを、たぶん人は「めんどくさい隣人」だと思っていることだろう。ただでさえいろいろ忙しいし、体は動かないし、これをやったところで利益が増えたりもしないだろうに、ホント、めんどくさい…。相手の立場に立ってみれは、それはまったくそのとおりである。

町会や商店街やPTA…、逃げられない場所で、自分と関わってくる価値観の異なる人は、たぶんみんなめんどくさい。いまはそのめんどくささが街のスパイスなのかもしれないと、ちょっとだけ気づいてきている。

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