世界を歩く楽しみ:『原神』第3章と『DEATH STRANDING』を堪能する
毎日YouTubeでゲーム実況動画をアップしています。
2023年は『原神』第3章と『DEATH STRANDING』が最も楽しかったゲームです。
以下、ネタバレ注意
なぜこの2作品か
以下のスクショはGOG Galaxyの遊んだゲームリスト。
原神を合計300時間、DEATH STRANDING合計100時間ほど遊びました。
ゲームはこれしかやってないと言っても良い。
だからこの2作品を選んでます。
いや、他にも『TEVI』とか『8番出口』とか遊びましたけどね。
プレイ時間が5時間に満たないものはカウントされてないです。
たしかにこれらも面白かったですが、人生に刻まれはしませんでした。
ここから先は『原神』第3章のネタバレを含みます。
『原神』第3章という途方もないエピック
『原神』第3章の舞台・スメールが最高でした。
スメールは中東とインドをモデルにしたエリアです。
中国をモデルにした璃月から、層岩巨淵を越えて、スメールへ足を踏み入れるとむせ返るような植生が待っています。
キノコの匂いがムンムンとするスメールです。
スメールから登場する敵の名前もキノコンなのでキノコ世界と言えます。
巨大な植物に覆われ、スメール人たちは大自然とともに暮らしているのですが、まず始めに出会うのが自然の世界を案内するレンジャーでした。
彼らに導かれ、森の奥深くへと進んでいきます。
次に出会うのが学者です。夢から知識を得ようとする風変わりな学問を研究していて、へぇ、そういうファンタジーか~と思ってました。
大自然と学者が居る世界観に不思議さを覚えながら、スメールシティという巨木と一体化した都市にやってくると、その不思議さが形を持ちます。
「森には世界の知識が眠っている」
これがスメールの世界観なんです。
何千年と長く残る巨木はたしかに人類を見守ってきました。
もしその巨木から知恵を得ることができるなら、立派な学問となるでしょう。
このダイナミックな価値観を知った瞬間、私の好奇心は爆発しました。
森の至る所を調べれば、古代の機械がたくさん出てきます。
そしてアランナラという森の妖精たちと出会い、妖精が導く夢世界へ足を踏み入れることになりました。
スメールで最初に出会った学者も夢を研究しています。
世界任務や街の人との会話で「スメール人は夢を見ない」という情報を得ていき、どうやら知識や夢が森と関係しているようだ……と、圧倒的な大自然が単なる背景ではなく、ストーリーに密接に関係した舞台だと気付かされるのです。
そこから草神に出会い、知識という概念にメスを入れていくことになり、スメールの各地と伝説任務に散りばめられた伏線を丁寧に回収していく壮大で長大なお話が展開します。
振り返ってみると、これたった一夜の出来事なんですよ。胡蝶の夢のごとく入れ子構造になったシナリオは千夜一夜物語がモチーフだったんでしょうね。
中東もインドも馴染みない場所だったけど、今ではかなり興味が出てきて、中央アジア研究者の先生を通じて砂漠や叙事詩について学びました。シタールのコンサートも行きましたし、だいぶ好きです。
なんていうか、ブラタモリ的な楽しみ方をゲームを通じて獲得できた事が、今までにない楽しさになったと感じています。
たとえば『アサシンクリード』シリーズは実際の都市を舞台にするし、『outer wild』はそれこそ考古学ゲームだったし、どちらも面白いゲームだったけれど、ブラタモリ的に理系と文系を行き来することはあんまり無いんですよね。
実在した現実でもなく、地球が無関係な非現実でもなく、現実世界をモチーフにファンタジー化したフィクションの舞台だからこそ、スメールは理系と文系を行き来しやすかったのだと思います。
テレビ番組の原付で走る出川哲郎を見る時、そこが知らない土地ではなく少しでも知ってる土地だと、なんだか観る気が湧いてくるような感覚です。
『原神』は現実世界をファンタジー化することで、外国の知らない土地を、地球という単位で知ってるかどうかに置き換える事が出来たのだと言えます。
そう考えると『ポケモン』ってすごいですよね。サンムーンで止まってるので、ポケモンでヨーロッパ巡りしてもいいかもしれません。
『DEATH STRANDING』というエクストリーム散歩ゲーム
私はメガネバーガーというグループで2013年からゲーム実況を上げているんですけど、メンバーの甘党兄さんから強くオススメされたのがこれ。
最後まで遊んでみて、まあストーリーも納得だし、映像も綺麗だし、ボイスも良いし、不満はなかったんですが、やっぱり不便な移動がストレスだったのと、BTやミュールが邪魔でイライラしたのと、唐突な塹壕銃撃戦のテンポの悪さはちょっとなぁ…と言う感想でした。
ふつうアクションゲームって爽快感をどうやって入れるかって考えて作っていくと思うんですけど、これは達成感に全振りしたゲームだと言えます。
だからプレイ中は辛くて、終わってみると何のことは無かったが、クリアできて良かった……とほっとする、と言う事が多々あるゲームです。
まあこんなもんか、で終わらせていたら楽しさを見誤っていたかもしれません。なんとクリア後が打って変わって楽しめるゲームでした。何が面白いって、各地に道路建設するところです。インフラ整備がこのゲームの本質だと思います。
アメリカ全土がマップになっているので、『THE CREW』的に各地を散歩できるのですが、その各地に他のプレイヤーが残したホログラム看板が立っているんです。
世界の端の山の上とか、今まで迂回させるための壁にしか見えてなかった雪の山脈とか、クレーター裏の何もない海の上とかに。
マップを開くと確認できるけど、ストーリー上で寄る必要が無いどころか遠回りになるので、ゲームクリアまでそもそも近寄りもしませんでした。
山の上には「絶景!」とか「λ」とか看板が立っていて、クリア後にする事の無くなった私は、その看板を目印に世界の果てを目指しました。
疲れて進めなくなってもファストトラベルできないので、ジップラインというターザンロープを300mおきに設置していつでも帰れるようにしながら、少しずつ登山していきます。
そうすると、世界の端の山の上でイベントBGMが流れたんです。ストーリーに無関係なのに、ちゃんとご褒美が用意されていることに感動してしまいました。
オープンワールドの世界の端って、システムメッセージが出たりすると、これがゲームなんだと突きつけられて没入感を損ねてしまうんですよね。
見えない壁、キャラがいきたくないとか言う奴、延々と海、急にUターン、強い敵が出て死ぬ……まあどれも行きたいのに行けないから、もやもやするわけです。
でもこれはまったく逆のアプローチをしてきました。
『DEATH STRANDING』において世界の端はマップの終わりではなく、マップのゴールなのです。
考えてみれば、『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』でも世界の四隅には試練が配置されていました。でもブレワイは試練だから、クリアを目指すなら行くべきところなんですよね。行きたくて行くわけじゃない。行く理由があるから行く場所です。
『DEATH STRANDING』の世界の端は行く理由も無いし、山の上なんていう行くのも面倒な場所だし、よっぽど暇でも行く気も起きないんですけど、他に行ったプレイヤーが居るらしいっていうのが看板を通して分かるから、じゃあ自分も行ってみようかな、くらいの弱い理由で行く場所です。
この感覚はこれだと思います。帰路についている時、時間に余裕があるし、帰ってしたい事もないし、たまには普段は通らない道を通って帰ってみるか〜、くらいのテンションとほぼ一緒です。
いつも通らない道の、側溝の蓋が線路みたいになってる細い路地の途中で、木板に手書きの看板を見つけて、それが老夫婦の営む小さなカフェだった時のような喜びがここにはありました。
プレイヤーが興味を持って発見したことに対し、優しいBGMでの労いと称賛を送ってくれる事が、『DEATH STRANDING』を最高の散歩ゲームにしました。
だから世界の果てだけじゃなくて、いろんな場所へ行ってみたくなるのです。プレッパーズもほぼ無視してストーリーを進めていたから、各地に住む現実世界のそっくりさん達に会いに行きました。
ストーリー上のアメリカの東西を繋ぐだけでなく、各地のシェルターに住むプレッパーズも含めてすべてを繋ぐためにアメリカ全土を駆けずり回りました。
そうして出来上がったのが、あらゆる場所と場所を効率的に結ぶインフラ整備だったのです。まさか道路建設することがこんなに楽しいとは思いませんでした。
世界を歩くゲームを作る
現在、『シルクロードの叙事詩』というボードゲームを制作しています。
1プレイ10時間越えの超重量級ゲームです。
プレイヤーはキャラバンのメンバーとなり、吟遊詩人とともに砂漠に眠った古代の叙事詩を集めながら、シルクロードでアジアの東西を渡ります。
モック版をUdonariumで制作してテストプレイしています。
チュートリアル部分を作っているので、プレイ時間は30分くらいです。
テストプレイにご協力いただける方を募集しています。
もし興味がある方、返信お待ちしています。
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