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【1】『君と夏が、鉄塔の上』



第一章 鉄塔94

 


 帆月(ほづき)が屋上から飛んだ。僕はそれを教室から見ていた。

 

 中学生活の最後の夏休みに入る、少し前のこと。傾き始めたオレンジ色の陽光が机や椅子の影を引き伸ばしている教室内で、部活に出ようか、それとも帰ろうかとぼんやりしていると、窓の外、校門から校舎へと続く道あたりに人だかりが見えた。たくさんの生徒が一角に集まって、一斉に空を見上げている。
 

 いったい何だろう、と彼らの視線の先に目を動かしてみると、向かいの校舎の屋上に人影があった。こちらの校舎の方が高いので、僕がいる教室と向こうの校舎の屋上とはちょうど同じ高さだ。だから、屋上の様子がよく見えた。
 

 一人の女子生徒が屋上にいた。時折吹きつける風に、黒くて長い髪がなびいている。どういうわけか、彼女の側には自転車が置かれていた。
 

 窓際に駆け寄って目を凝らすと、その女子生徒が帆月蒼唯(ほづきあおい)であることが分かった。セーラー服のスカートが煽られ、ほっそりとした足がちらちらと覗いているのも気にせず、彼女は屋上の端を沿うように歩き、時折階下を見下ろしていた。
 

 向かいの校舎の屋上は人が立ち入ることを想定されていないため、フェンスが張られていない。僕は帆月の様々な噂をいくつも耳にしていたから、また何か変なことをやリ始めた、と思いはしたけれど、ではいったい何をするつもりなのか、まったく見当が付かなかった。
 

 帆月は薄い木の板を屋上の端の段差に置くと、強度を確かめるようにぐっと足で踏んだ。そして、満足したように頷くと、次は自転車の方へ歩いて行き、その場にしゃがみ込んで何やら作業をし始めた。時折ノートを覗きながら、大きくて薄っぺらい板状の物を、サドル後方に突き立った鉄パイプの先端に取り付けていく。自転車よりも大きいその白い板は翼のようで、自転車の前籠の先には、大きなオレンジ色のプロペラが取り付けられていた。
 

 ─まさか……あの自転車で飛ぶつもりなのか?
 

 彼女のいる場所は三階建ての校舎の屋上だ。そこから飛ぼうだなんて、とても正気とは思えない。
 

 いくらなんでもさすがに、という思いと、それでも帆月ならやるかも知れない、という予感が一瞬で混ざり合い、僕はこれから起こる事態に唾を飲み込みながら、じっと彼女の動向を見つめた。
 

 そんな僕の思いをよそに、帆月はてきぱきと自転車に部品を取り付けていく。階下の生徒たちは、帆月の姿が見えないからか、互いの顔を見て首を傾げながら、どうなるのだろうと空を見上げている。
 

 すべて組み立て終わったのか、帆月は工具をまとめると、自転車のハンドルを握り、屋上の端─先ほど木の板を置いた場所─をじっと見つめた。首にぶら下げていた、飛行機乗りが使いそうなゴーグルを掛け、羽の付いた自転車にまたがった帆月は、まるで背中から翼が生えているみたいだった。
 

 彼女が少し体を揺らすと、スタンドが上がり自転車が進み始めた。そのスピードに合わせるように、プロペラがゆっくりと回り出す。
 

 帆月は立ち上がるように、懸命にペダルを踏んだ。初めは右へ左へとふら付いていた自転車は、その内に一気に加速を得て、木の板が置かれた屋上の一角に向けて勢いよく進んでいく。

 「え⁉ ちょっと!」

 僕は思わず声を出してしまった。

 嘘だろ? 本気なのか? そんな言葉が頭の中を駆け巡る。

 やがて、帆月を乗せた自転車はその加速を失わぬまま、屋上から空中へと飛び出した。

「あ!」
 

 そう叫んだのは僕だったか、それとも階下にいた生徒たちか。一斉にどよめきが起こり、どこかの女子生徒が悲鳴を上げた。
 

 自転車がふわりと浮力を得た─と思ったのもつかの間、はたして帆月を乗せた自転車は、校舎下のイチョウの木へと突き刺さるように落ちていった。




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