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青森県りんご偉人三氏

外崎嘉七 澁川 傳次郎 斉藤昌美

協会発行のりんごニュースの記事に上記の三氏の名前が出た。今後のために是非予習しておこうとおもう。三氏についてざっくり簡単な記事にして、みなさんと共有したい。

外崎嘉七(とのさきかしち)

安政6年ー大正13年 清水村樹木(現弘前市)に農家の三男として誕生。

何をやった人物?

菊池楯衛にリンゴ栽培を学ぶ。清水村に農園を開く。農家出身者として初めて指導者となる。袋掛け・ボルドー液の散布などの病害虫対策、暗渠排水や低い樹形の推進、剪定ばさみの共同開発、一段式剪定法、栽培技術の改良につとめた。「 りんごの神様 」といわれた。明治41年に皇太子が彼の園地に行啓訪問。更新剪定の創始者。

澁川 傳次郎(しぶかわでんじろう)

明治31年ー平成3年 黒石町前町7番地(現黒石市)商家の次男として誕生。

何をやった人物?

青森県りんご協会の創設、りんごの公定価格引き上げ運動、りんご栽培講習会・農村青年大学の開催、りんご協会叢書刊行、りんご樹財産税反対及び評価額の交渉、りんご試験場存置運動、戦後の荒廃したりんご園の復興、「りんご栽培法」などりんごに関する著書を多数残した。「 青森りんご復興の祖 」といわれる。りんご協会入り口横に彼の銅像がある。

斉藤昌美(さいとうまさみ)

大正7年ー平成3年 弘前市一野渡に生まれる。りんご生産者。

何をやった人物?

ふじの普及に貢献。ふじの着色と育成に心血を注いだ。高接病予防の挿し穂接ぎが著名。1963年バナナの自由化、翌年にはレモン、1968山川市場、以上のような幾度かのりんご価格暴落年があり、この打開策として取り組んだのがスターキングやふじ等への高級品種への更新だった。この時期に技術的成果を上げたのが斉藤正美。

まとめ

いかがだったでしょうか?過去問の答え合わせのように並べただけの文章になりましたが、簡略化のためご了承ください。しかしこれらの人物の行動の動機としては、病害虫や自然環境との闘い、変動する社会との闘いがあったからです。今回調べてみて青森のりんご産業は農家が食べていくための苦労の連続だったことがわかりました。今日のりんご産業があるのも彼らの繋いできたものがあるからこそだということを痛感しました。

これから基幹青年になる方は心して覚えておきましょう。

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