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僕は、エヴァを終わらせることが出来たのか?

★☆★☆注意☆★☆★

この記事は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」及びエヴァンゲリオンシリーズのネタバレを含みます。
嫌な方は、以下記事をよろしくお願いします。

大丈夫な方はスクロール宜しくお願いします。







シン・エヴァンゲリオンは、「エヴァンゲリオン」という作品からの卒業というメッセージが強い作品でした。

それは、庵野さん自身の卒業という意味と共に、観るものに対して、エヴァという呪縛からの卒業を促す意味もあったと思います。

28歳。僕は奇しくも、作中のシンジくん含め2年A組メンバと同い年でシン・エヴァを鑑賞しました。

作品を振り返ると共に、学生時代に出会ったエヴァンゲリオンから、僕自身卒業できているのか、考えてみます。



みんなを、他人とは思えなかった

物語冒頭から、28歳になったトウジ、ケンスケが登場し、トウジには子供ができてました。
もちろん、僕の人生ではニアサードインパクトは起きてないし、お天道様に顔向けできないことをやるほど追い詰められた経験はないのですが、はやい友人では結婚や第一子を迎えてたりしてる年齢だったため、彼らのことを、とても他人とは思えず、シン・エヴァは冒頭から妙な没入感がありました。

そうやって周りが大人になっている中、エヴァの呪縛で中学生の見た目のままのシンジくん。その後クライマックスにかけて、エヴァからの卒業、そして大人への成長が描かれます。


終盤のストーリーのみをざっくり振り返りたいと思います。

・シンジはカヲルから、エヴァが繰り返しの物語であり、シンジと共に世界の創生と崩壊を幾度もなく繰り返してきたことを告げられる。

・その事実を理解した上で、精神的に大人になったシンジは、エヴァの存在しない世界を望む。
(カヲル)「シンジくんはリアルの世界でも大人になってたんだね」

・シンジは、エヴァの物語自体を書き換え、エヴァの存在しない世界を創世する。
(シンジ)「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」

・突然、舞台は山口・宇部新川駅に移動。大人になったシンジ(声:神木隆之介)は、マリと手を繋ぎ、ドローン空撮された実写の世界へと走り出していく。

大人シンジが同世代の神木隆之介っていうのもね。。
もはや僕らの為に作られてるのか?って感覚になりました笑


カヲルくんは、観客自身に話しかけているようだった

(カヲル)「シンジくんはリアルの世界でも大人になってたんだね」

このセリフ、まるで自分自身に言われてるように感じた人。少なく無いと思います。

カヲル君のシン・エヴァでの立ち振る舞いからして、彼は、ゲンドウが切り捨てた父性を持った存在なのではないかと、勝手に思ってます。根拠は無いですがね。全く笑笑

古参ファンが多いであろうエヴァ。
初めてテレビシリーズを観てから、10年以上経過し、ファンの多くはライフステージが変わり、身体も心も大人になっていることでしょう。

シンジ君に対して語られ、シンジ君自身が語る言葉達は、我々観客自身にもまるで当事者のように感じれる内容でした。

そして、シンジ君は、エヴァのない世界を創造し、エヴァは終わりを迎えます。



僕は、エヴァを終わらせれたのだろうか?

ここで本題。
シンジ君同様に、僕は、エヴァを終わらせることができたのか。

ここでは、そもそも僕にとってのエヴァがなんだったのを明らかにするために
初めて観た【学生時代】に感じていたことを振り返り、【今】それがどう変わっているのかを考察したいと思います。



【学生時代】自分のモヤモヤの原因を教えてくれたのがエヴァだった

エヴァを象徴する概念に「リビドー」と「デストルドー」があると思います。

当時、僕は、学生時代特有の
急にいろんなことへの意欲に充ち満ちることや、何もかもが嫌になり一人で閉じ篭りたくなる、そんな感情の大きな波が漠然と常にあり
ただ、その正体がわかっていないため、モヤモヤしていました。

そのため
「リビドー」と「デストルドー」
「他者の容認」と「拒絶」
「生」と「死」などの概念が描かれたエヴァは
僕自身に、モヤモヤの正体を理解させてくれました。

ただ、その正体がわかったところで
その大きな波と共に一喜一憂を繰り返し、その中で苦しんでいたことに変わりはありません。

そして、そんな不自由な自分自身が嫌いでもありました。



【今】繰り返される自分を受け入れることができている

リビドーとデストルドーが共存し、波のように繰り返される自分の感情を、いつのまにか、受け入れることができている。と。思います。

もちろん今も一喜一憂するし、めちゃくちゃ落ち込むことはあります。

でも、その事実を認めることが出来るようになっているのです。



【結論】エヴァは終わっていないが、一区切りつけることができた

エヴァで語られる「リビドー」と「デストルドー」は今も自分にあり、それを消すことはできていません。むしろ出来ないという事を理解しています。

ただ、学生時代は嫌悪感を感じていたその事実を、受け入れることが出来ている。たまに、客観的に理解できている。
エヴァの世界観を切り捨てたわけじゃないが、そういうものだと認め、一区切りをつけている。
それが、今の自分だと思います。

ある意味、大人になれているのかもしれません。



【余談】歳をとってから観るエヴァは一味違う

シン・エヴァにあたって、今一度旧劇や新劇を見返したりしました。

すると、この記事で取り上げたように、自分自身の捉え方の変化があったと共に
学生時代はあまり共感できなかったミサトさんやリツコにも感情移入できるようになってて、また一味違う楽しみ方ができました。


記事を書く途中に調べてたら出てきた、宇垣アナがエヴァを語る記事が、まさしくこのことを表現してて面白かったので、最後に紹介します。

しっかし美人だな。宇垣アナとエヴァを語れる友人が羨ましすぎる。



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