もし こんな大学生が 陸上部に来たらどうしますか?
コーチングを始めて 3年目 監督から呼ばれて この選手が来てるけど間違っても、君の口から首を宣告するなよって、男女均等のタイトル9というルールがあるから、彼女が自発的なやめるには問題ないけど チームから首の宣告はできないからな。釘を刺されて 選手を紹介された。その子は非常におとなしく物静かで 大学で陸上部に入りたいと、監督を訪ねてきた、監督は 彼女の記録を聞いて この子頭正気か?って何せ 200m32秒って
こんなの記録じゃない、しかし、当時コロラド大学は 女子選手が少なく 希望者は全て受け入れないと行けない状態答えにノーは無く。
その子を俺に紹介した。どうなってるんだいと思いながら 監督命令は従わないと行けない。当時コロラドにはもう一人短距離コーチがいて そのコーチは、俺は見れないから あいつにやらせればいいって、俺に降ってきた 俺はというと、跳躍と短距離を見ていた関係で 割とどっちつかずのポジションだっだので 言われるがまま この子の指導を受け持った。そして 話はそれだけではなく、この子は法学部で 勉強の時間が多く 練習の時間は毎日 午後2時45分から4時までしかなく、たった1時間15分で全て行わないと行けない、(ウエイトだけは朝早くから行えたので週に5回 朝 45分のウエイトを行っていた)俺は基本ほか選手の練習は3時で終了して その後 5時から レストランでアルバイトの予定があったため かなり過酷な厳しい練習時間を強いられていた。しかし、この子は練習時間に遅れることはなく、きちんとい俺との 1対1の練習をこなし、1年の最後の屋外の大会で 200mを30秒切れた。(話にはならなかったけど 彼女は大喜び)俺も 念願のかべが破れたって喜んだ。
1年から2年になるまでの夏休み 彼女はしっかり ウエイト(ウエイト専門の大学コーチが組んだメニュー)をしっかり行い、2年で戻ってきたとき、体が2回り大きくなっていて、頑張ったねって言った覚えがある。練習は相変わらず 2時45分から4時までだったけど 前年度と大きく変わったのは、体力が全く違ったこと、動きが大きく変わったこと、色々変かがあり、教えていて すごく 教えがいのある選手に育っていた。室内シーズンになると ローキーミート(あまり重要視しない大会)に参加させると、試合で 決勝に残ってきた (200mは相変わらず 29秒そこそこだけど)しかし、ハッと俺は我に帰ったのはこれは室内だ カーブがきついことなど考えると この子はもしかすると 屋外で 28くらいでくるかなって
そんな思いを馳せながら、室内シーズンが終了して、屋外に入った。屋外は初戦は、非常に楽な試合でこの選手も試合に出れるレベルで 無理やり試合に押し込んで 走らせると、なんと いきなり 27秒で帰ってきた。監督も 俺もえーなんじゃこれ すごいなって、そこから彼女の快進撃は始まり 2年の最後の屋外では とうとう、25秒台まで上がってきた。7秒の短縮
監督は 俺に よく頑張ったな これで形ついたぞって、監督はこの時これが限度と思ってたみたいだけど 俺的には、ここまできたら 全米学生に出せてやるぞ気持ちになった。
2年から3年への夏は彼女はまた1段と大きく成長して 見違えるほど大きな体になって 3年時戻ってきた。練習時間は相変わらずだけど 練習内容は格段と進歩して 練習でもタイムを25秒台だ走るようになり、俺的には密かに面白いなって思って室内シーズンに挑んだ。室内は思った通り、彼女は 200mを25秒台で走り(まだまだ全米は遠い存在だけど) 他のチームメートと肩を並べるところまで上がってきた。屋外ではとうとう 24秒台で走り 大学の遠征組選手と遠征に出れるまでになり。シーズンを終えた。3年から4年時は どれだけやったかわからないけど、体はすごく大きくなり、なんじゃこれってくらいまで進歩、日本語でいう、えげつない
そこまでからだを仕上げて、9月に戻ってきた。今ままで同じ練習時間だったけど、室内シーズンに入ると 彼女はチームの主力となるまで進歩、質なで 24秒台が出るまでになり、屋外では とうとう、23秒台の選手になった、NCAAの標準記録まであといっぽっていうところで 最後の試合になり 俺は好きなように走ればいい、自分の集大成だってだけ言って送り出すと なんと彼女は優勝 そして、NCAAの標準まで突破してきてしまった。この時は 監督は言葉にならないくらい 喜び 彼女は もう何がどうなってるかわからんという。俺もh言葉なくただ涙だけが溢れ出た。そして彼女は NCAAの本大会に参加、結果は予選敗退 しかし、32秒で入ってきた選手も気合い入れて練習すれば 23秒になるって実証してくれたお話です。この時は俺自身も感動した。
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